物語の世界へ。

saikaku2005-05-13

物語というものが、どのような意味を持っているのか、そのことが、今まで、確りとはわかっていなかった。そんなところがあった。わかっていなかった。でも、このところのこと、このように書き続けているということもあってか、その、このように表現していうこと、このことのよって、自分の世界、その世界を構築している、そんな思いになってきている。その、虚数というもの、そのモノが存在するのかどうか、そのことについて、存在する、としても、あくまでも人間の頭の中だけのこと、そう初めの内は言っておれるのかもしれないが、でも、そのことから、初めの内はそうであったとしても、だんだんと、その規則性、どのような性質を持っているものなのかということ、そんなことを組み立てていく、そんな作業をしている内に、何か、それも、錬金術というか、いろんな化学反応を試みているようなこととして、そんなこととして、いろんなこと、それを繰り返していく。そのような試行錯誤、それを繰り返していくことによって見えて来るところのことがある。だんだんと見えて来る、そんなところがある。量子というもの、そのようなモノが、それも、そう、存在している、実在しているということではなくて、そうなんだということを前提にして、現実にはないではないかという常識、それから離れて、そのようなモノがあるとして、そして、前へ進んで行くこと、そう、そんなことをしていく。そのような繰り返しの作業、童話で、おなじようなことを3回ほど繰り返すように、そのようなことをしながら、前進していく、或いは、掘り下げていくということをしていく。そんなこと、そのようなことをしていく。そう、そのようなことは、そう、物語の筋、それを構成していくのではないかと思う。そのようなこと、昔話、人口の膾炙しながら、だんだんと、その物語の筋が確立していくようなことにも似ている。そんなことになっている。物語、それが、何か、その、新しい世界、それを構築していくことになっていく。そう、そんなこと、そのようなこと。でも、常識、今までの世界、自分が安住している世界に、その、拘り続けている、そんなことであれば、そう、自由に、そのような世界へ這入っていくということはできない。また、偽りのことであるといって非難することも常なることである。そのようなことではなくて、旅をしていくように、今の日常の世界から離れ、新しい世界の中で、その、どのようなことが起こって来るのか見ていくようなこととして、生活の、生き方の問題がある。そして、面白いことは、その、非日常の世界での決まりが、日常生活にも関係している、影響を及ぼしているということ、それが観得て来るときではないかと思う。そのことを、共時性というのだと。