ただ、表現する者として。

saikaku2005-05-14

日常の世界から非日常の世界へ、それは、何も難しいことではなくて、唯、その、普段の生活の中で、腑に落ちない、納得できない、疑問に思うとか、そんなこと、問題意識を持つということも、その、持っているとき、そのようなとき、非日常の世界を垣間見ている。そのことをそのままにして通りすごしてしまうこともできる。気づかない振りをして見過ごしてしまうこともできる。そう、そんなこともできる。でも、そのことを疑問に思い、そして、そのことについて考えていこうとするとき、自分に納得させていこうとするとき、その、自分の世界のこととして、そのこととして、その世界のことを理解していこうとするとき、物語が始まっている、そのように思う。そのことについて思考を始めているとき、その筋を考えていこうとするとき、自分から、その物語を始めている。そして、その世界に馴染んでいくことになっていく。今、このように書いていること、また、多くのことを書いていくこと、そう、そのことによって、心の内のこと、だから、その、疑問を思うところのこと、そのことは、心の内のこととして、そのこととして、塊として、蟠りとして、心の内にある。そのことに気づいていくこと、そんなところから、そのことが気になっていくこと、そして、その扉を開けてみようとすることから、その、隣の世界、或いは、異次元の世界、その世界に這入っていくことになっていく。そして、そのようなことを、愉しみなこととして、そんなこととして感じられればいいのではないかという、そんなことを思っている。早朝4時に起きている。そして、書くことから始めている。先ず、心の内のこと、そのことを整理していくことから始めている。その後、その、受け容れていくこと、本を読むこと、或いは、人の話を聴いていくこと、映画を観ていくこと、そんなことを始めている。そのこと、受け容れていくこと、そして、そのことについて、どう感じているのか、どのようなことが、その、何か、意味のあることとして、そんなこととして得られたのか、そのこと、自分の心の内に、その、一つの塊として、そんなこととして、得られたのか、そのこと、それが大事にしていきたいところのことである。そのように思う。そう、そんなことであると思う。どのようなことになっていくのだろうかと思う。物語の意味、まだまだ、人間にとって、そのことが必要なことなのだということ、そのことについて考えていきたいと思う。現実を生きる、そのことのために、非現実の世界、その世界に遊ぶ、そんなこと画必要なんだということ、矛盾しているようでも、そのようなことが必要なこと、物事について理解していくことにおいても、一旦、その、抽象的な世界、その世界を構築していくことが、そして、そこから眺めていくことが必要なことなんだという、そのことがわかっていても、どうしてなのか、そう、それが不思議なことであると思う。