睡眠が凝縮していく。

saikaku2005-05-25

早朝には書いている。自分の思いを、そのときのことを書いている。その、心の内にあるところのこと、さまざまなこと、そのようなこと、いろんなこと、思いのままに書いている。その時間がいちばん大事な時間ともいえるのかと、そんなことを思う。そう、そのときに、思いっ切り、そう、できる限り、その、もういいと、自分で納得していくところまで、或いは、心が拡散していくというところまで、集中力が途切れていくところまで、そう、そんなところまで書いていく、そんなことをしていく、そう、そんなことをしていく。そのようなことでいいのではないかと思う。そのこと、拡散していくこと、そんなことによって、その、心の方向性が外へ向かっていく。そのようなことになるまで、自然なこととして、そんなことになるまで、その、書いていく、自己を表現していくということをしていく。そのようなことでいいと思う。その後、そう、その後、日経を読んでいくということ、それをしていく。そして、本を読んでいくことをしていく。多くのこと、そのことを受け容れていく。そう、そのようなこと、多くのことを受け容れていく。何でもいいと、そんなこと、多くのことを受け容れていくことをしていく。そのようなことでいいと思う。本を読んでいくこと、また、映画を観ていくこと、そして、人の話を聞いていくということをしていく。そう、そんなことをしていく。唯、受け容れていく。それでいいと思う。そして、睡眠、そのことが、その、自分を信じていく、そのようなこと、自己に信頼を置いていく、そのことをしていく。その、寝るということにおいて、それまでに受け容れたところのこと、そのことが凝縮されていくのではないかと思う。そんなことになっていくと思う。そして、また、自己からのこととして、そのことを書いていくということをしていく。そのようなサイクルの中を生きていく。今までの読んでいた本、三島由紀夫に関する本、その死に、割腹自殺、刎頚、そのことにどのような意味があったのかという、そのようなこと、まだ、そのことが疑問点として残っている。そのようなことになっている。その死の意味を理解していくということ、そのようなことになっていく。そして、何か、それぞれのこと、群盲の象、そのようなことを、まあ、それも一部なのだろう。でも、何か、そのようなことよりも、違う受け留め方、それができるのではないかと。自分こそが、三島のいちばん近いところの居たという、そんなことを競うのではなくて、そのことから、どのようなことを学んでいけたのか、自分にとってどんな意味があったのかということ、そのこと、何か、自分の暗黒部分、それを識っていく、そのためのこととして、そのヒントを得ていくこととして、その死のことを考えていく。そのようなことでいい。