ずーっと話をしていたんだ。

saikaku2005-06-02

昨日の4時から7時まで、3時間、ずっと話をしていたんだと思う。まあ、結構深い話をしていたんだと思う。そんなことをしていた。でも、それが、そう、何か、不思議なことに思える。そんなふうに思える。人間どうしが、その、話し合うことができる。コミュニケーションとか、そのような能力があること、結構不思議なことに思う。完全には、相手の考えているところのこと、そのことが理解できないとしても、その、言葉を通して、また、その非言語的な部分、それを通して、その、相手のことを理解していこうとしていること。また、自分なりの解釈をしてしまうこともあるのかもしれないが、でも、それにしても、何らかの、曖昧ではあっても、何らかの理解ができるということ、それができるということは、不思議なことでもあるし、また、すばらしいことでもあると思う。そう、そして、話し合えるということ、或いは、もっともっと話し合えるということ、そんなこと、そのような時間を、もっともっと持っていくこと、そのようなことを心掛けていきたいと思う。或いは、自己とも話をしていくこと、そんなこともできるのだとおもう。自分自身が、どんなことを考えているのか、そのことも、はっきりとはわからない、そんなところもあると思う。そう、どちらにしても、五里霧中ということの中にいる。そんな状況におかれているんだと思う。確かなこと、それが分からない。でも、そんな中にあって、丁度、霧の中に居るように、それでもぼんやりとでも、その、何かがあるということが、そのことがわかってくるということ、そして、思い込みをしてしまうということもある。そう、そんなこともある。でも、何かと、その、ぼんやりとしたものとも、というか、却って、その輪郭というものが、そのモノが明確になっていれば、その、人間の思考力、それが育っていかないともなっていたのではないかと思う。ぼんやりとしているから、外においても、内においても、ぼんやりとしているから、その、何なのだろうかという、そのことを考えていく、或いは、想像していく力、それが育ってきたのではないかという、そんなことを思う。そう、それにしても、その、長く話し合いができたこと、そのことは、嬉しいことだと思う。そう、お互いのこと、その、口にするつもりのなかったことまで、今日は言わないでおこうとか、そんなふうに思っていたことまで、結局は、その、何でも話し合っていたということ、そんなこと、すっきりとした気持ちになっている、そんなことになっている。そう、心が浄化されているというか、そんなことなのだろうと、そう、もっともっと、その、誰ということなく、その、話し合いをしていくこと、でも、何か、それが続かない、或いは、打ち切ってしまうということが、一方的に打ち切ってしまうという状況が、多過ぎる。