再び、書くことへ。

saikaku2005-06-16

もう30年ほどの前のことになるのかと、そのとき、太宰治の全集を読み漁っていた、ずっと読んでいた記憶がある、記憶どおりのこととは違っているのかもしれないが、でも、記憶としては、読み続けていた、そんなふうに覚えている、そう、そのことから、何か、非常に沈み込んでしまっていた、或いは、鬱、そんな状態になっていた、太宰治の本が、そんな影響を齎していたのか、或いは、そのことが、その、引き金になったというだけのことなのか、でも、あんまり、本質的な違いということはなかったのかもしれない、本名に共通していたところがあったということも、何か、また、それ以上のこととして、親近感を持っていたのではないかと思う、そして、先ごろ、もう一度、その全集を読んでみたいという、そんな気持ちが高揚してきていた、そう、それも、どのようなことからなのか、そのこと、わからない、分からないけど、そんなことになっている、そして、散乱していたその全集を掻き集め、そして、今、もう一度、読み始めている、そう、そんなことをしている、今日から、読み出したところである、そして、気づくこと、その、あからさまには書いていないながら、性的なことの多いこと、そんなことが気になっている、そう、そのようなことが想像される、そん文章が多くみられる、こんなんだったのかと、そう、でも、覚えている、その、30年という年月を飛び越えて、覚えている文章があるということも、そう、まあ、そうなんだろうとは思いながら、そう、驚いている、そんなことになっている、今、このように書き始めている、そう、書き始めている、そして、その、読むこと、昨日までみられた、その、読むことへの積極性、そのことは、もう、影を潜めている、そして、今、もう一度、このように書いていくこと、このこと、そう、つまり、気持ちが内を向いているということ、そんな状態になっているということではないかと思う、そのこと、今までのこと、時間によって、読むことと書くこと、そのことを分けていたが、もう、そのようなことではなくて、その、自分の心の状態、そのこと、外向的になっているのか、或いは、内向きになっているのか、そのことによって、その、自分の心の状態、そのことを基本において、どのようなことをしていくのかということを、そのことを決めていこうかと思う、もう一度、その、外面的なことではなくて、自分のことを基本的なこととして、といっても、これも、その、表面的なことではなくて、内部からのこととして、そのこととして、生活の在り方、そのことについて考えていこうかと思う。