人の生き死にについて。

saikaku2005-06-27

靖国の問題というのは、生きることの目的ということ、死ぬということの目的ということまで、その、国家が定めてくるということ、そして、その、死ぬということの意味づけ、靖国の神様になるということ、そのような意味を与えていくこと、戦死するということの、それを美化していくこと、でも、そのようなことにのっていく人間の心理、そんなこともある、そう、自分で目的、生きることの目的ということがもてないという、そんなことがある、そして、そのことを外から与えられるということ、そんなことにもなっていく、受け皿としての、そのこと、でも、戦後においても、学歴ということが尊重されたということ、大学へ、有名大学へはいること、そのことが生きることの目標とされていた、そして、その受け皿というものが、大企業ということであったのだろうと思う、何か、共通しているところのこと、そのことを感じる、自分で、その、生きることの、或いは、死ぬということの目的、それがもてないこと、見つけていくことができないこと、そして、安易に、そのことを受け容れていってしまうということになっていく、或いは、そのことが、単なる陰謀ということに、国家の陰謀ということを、そのことになっていたのではないかと思う、そんなことであったのだと思う、また、同じようなことが、宗教という名を借りて、同じことが繰り返されていくのではないかと思う、何か、そのところには、自分の生き方について、その、物語、そのことを自分で創造していくことができない、そんなところのことがある、どうしても依存していってしまうところのこと、自分だけで、その、歩いていくことのできないという、そんな弱さ、そのことを持っている、或いは、自分の存在ということを、そのことをどうしても認めて欲しいという、そんなことになっている、そう、そのようなことがある、自分自身のこととして、先ず、自分の言葉で語っていくということが、そんなことがある、そのことから始めていくこと、何か、そのような方向へ、そう、社会の流れ、そんな方向へ進んでいるように見えながら、でも、自分の言葉で語れない、自分の思いを語れない、そんなことになっている、そう、もう一度、その、対話をしていくということ、そんなこと、いろんなところにおいて、そのこと、言葉を交わしていくこと、そのようなことを行っていけば、その、人を殺すということが多い、そんな事件が多い今の状況もかわっていくのではないかと、そんな幻想を持つ、人の死ということを美化することもなく、自分の感じているところのこと、その真情を、そのままに、語っていくことができれば、その、惑わされることもなく、そう、そのままに語っていくことが、大事なことなんだと思う。