本当は自分に問題がある。

saikaku2005-06-28

相手のことを非難していくこと、そのことの元は、自分自身にある、自分の問題、それが自覚されていないこと、でも、自分はよく分かっている、そのような問題を、相手の中に見出していく、そんなことになっていく、そして、相手のことを弾劾していくことで、何か、自分自身が抱えている、その、抱えている自分自身に対しての、救済というか、慰めというか、そんなことを感じていく、そんなふうになっている、投影していくということ、そんなことになっていく、本当な自分自身の問題なのだと思う、韓国や中国が、歴史問題、そのようなことを言い出す、それしかないようなこととして、持ち出してくる、でも、その、今、いちばん歴史問題を抱えているのが、韓国であり、また、中国であるように思う、自国の歴史、そのことについてどのように納得していくことができるのか、そのこと、その関わりということにおいて、その、日本との関係ということが、そのことが取りざたされている、そんな感じを受ける、でも、日本は、余りにも、そのことの無頓着、そんな印象もある、そう、どのようなことなのかと、曖昧なままに過ぎして来ている、或いは、どんな悪事も、自分が犯してきたようなこと、そんなことも不問に付してしまう、時の流れに流してしまうような、それで終わりと、何か、その、曖昧なままに、心の底に堆積していってしまうような、そんなことになっている、また、それはそれで、いつまでも、腐敗を続けていく、そう、そんなこと、同じことを繰り返していくということになっている、どのようなことが大事なことなのか、その、人のことを、相手のことを非難することだけでは、溜飲を下げるということはできても、自分の問題として残り続けていく、曖昧なままに残していくことも、そのまま、残っていく、そう、そのようなこととしてある、歴史問題のこと、それぞれが、どのようなことを行ってきたのか、一体、戦争というもの、誰が興しているのか、そのことがある、太平洋戦争、誰が起こしたのか、そう、そのことがある、何か、本当に曖昧なまま、そんなこととして残っている、その、どのようなことを体験して来ているのか、そのこと、本来、そのようなことを、一人ひとりのこととして、そのことが表現されていくべきところのことなんだと思う、でも、そのようなことを語らない、或いは、語る術を持たない、そのような状況にもある、或いは、無言の内に分かるという、そんなことが美徳でもあるような、そんな風潮、何か、大きく変わっていくことが、その、個人のこととして、大きく変わっていくことが、個人から発していくこととして、そのように替わっていくことが大事なことなのではないかと思う。