依存と奢り。 

saikaku2005-06-30

依存しているということもある、自分の考え方、それを持っていない、判断することができない、そんなこともある、自分の感じ方、それさえも失っている、どうして行けばいいのか、自分で分からない、人の後についていくということになっている、そんなこと、或いは、自分の生き方ということを明け渡しているということもある、何か、そこには、自己ということを把握していない、どのようなことに自分を置いていけばいいのか、どのようなところのその基盤を見つけていくのか、そのことが分からない、そんな人間がいる、その一方、自分の自信を持っているのかと、奢りといえるところのことまで、まあ、自信に溢れて居るように見える、そんな人間もいる、そう、教師の多いタイプ、人の話を聞かない、初めは聞くような振りをしていても、いつの間にか、自分の話、経験知からの話、そんなところへ誘導してしまっている、そんなことになっている、自分のことを正しいと、そんなふうに思い込んでいる、そう、そして、そのことを押し付けていうことによって、相手にそのように思わせていくことによって、指導していくということによって、更に、自分の考えていることの正当性が立証されていくということになっていく、そんなことになっていく、自信の持てない人間、そして、自信、それが過信までにいたっている人間、でも、まあ、同じようなことだと思う、そのように見える、結局は、人の話を聞かない、人の話を聴いていくことは、そのことは、自分を変えていくということを、人の話を聴き容れていくことは、そのことだけで、自分の考えていること、そのこととは違うこと、異質なこと、それを受け容れていくことによって、自分を変えていくことを意味している、或いは、自分を変えるということよりも、自己の内に、その、相手と対話、そんなことによって、新しい自分ということを創造していくということでもあると思う、ソクラテスの対話は、結局は、自分の考えていることを、押し付けているだけのようにも思う、そのようなことではなくて、相手とのこと、そのことによって、折り合いをつけていくこと、或いは、意思の疎通ということを通して、充分な言葉数によって、そのことの中から、何か、今までにはなかったところのこと、その方向性、それを発見していくこと、そんなことなんだと思う、行き詰ったとき、何か、その、扉を開く、そんな働きをする、そんな言葉が顕れて来る、『パズル』、その本を読んでしまった、固定化された人間関係ではなくて、そのことを変えていくこと、何か、そんなところの方向性、それが面白かった、話は、そう、他愛のないものでも、何か、惹き入れられていくモノを持っている、そのようなことによって、自己のうちにも、新しいモノが生まれている、そんなことを感じる。