複素数の世界。

saikaku2005-07-01

それは、人間が頭の中で創り上げた世界であって、別に、そのようなことを考えなくてもよかったとも思う、そのように考えれば、そのことは、負の数、そのことから始まっている、現実にはない数として、それらを考えていく、分数にしても、そう、そして、そのような想像上の世界、そこにおいて、どのようなことが成り立っているのか、規則があるのか、そのことを組み立てていく、そのようなことをしていく、理性的な思考として、そのようなことを創り上げていく、規則、法則ということが組み立てられていく、社会的なことにしても、ルールということがあって、そのこと、法律に銘記されていることを守っていくことが求められていく、そんなことになっている、でも、そのこと、規則ということに従っていくことばかりはできない、或いは、その規則が本当に正しいことなのかどうかということ、自然科学にしても、社会のことにしても、或いは、人間が生きていくということにおいても、そのことが絶対的に正しいとは、そのことはわからない、でも、頭で考えていくこと、そんな習性になっていくと、その、規則、それに従っていくことが、また、そのようなことを学問として、学んでいくことが、求められていく、或いは、そのことを押し付けていく、そんなことにもなっていく、自分が信じているところのこと、その信条に従って、指導と称して、或いは、指示的になっていくことがある、相手を従わせていくことが、自分の信じている規則の正当性と立証していくということにもなっている、そのようなこと、理性に基づくこととして、そんなことが行われている、でも、そのようなことに対して、その、規則ということ、或いは、信条ということ、そのことを絶対的なこととしては考えない、そんな立場、或いは、生き方もあるのではないかとおもう、そんな気がする、信条ではなくて、真情に従っていくこと、そのことがあると思う、自分が感じているところのこと、その、感性のこととして、その、何を自分が感じているのか、そのことに真を置いていくこと、そんなことができると思う、その、規則を押し付けてくることにしても、そのことも、結局は、自分の心情、そのことに薄々とは気づいているのかもしれない、その不安定さ、その曖昧さ、取り留めのなさ、そんなことに、その、恐れを抱いているのではないかと思う、そう、そんなことになっているのでは、だから、余計に、その、規則ということに固定化していくことにもなっていく、そのようなことにもなっていく、どのような生き方ができるのか、その、柔軟性ということ、規則ということを理解はしていながらも、でも、そのことに固執はしていない、そんなことではなくて、その、自由であるところのこと、そのことが大事なことではないかと思う。