哲学的なこと。

saikaku2005-07-04

昔、読んだ本の中で、「花が存在している」ということを逆にして、「存在が花している」、そのように表現していたことがあった、そのことに、何か、深いモノがあるのではないかと思った、その、量子の世界ということがある、そのことがどうにも納得できないところ、そんなところがある、その、意識下の世界、そのような世界があると考えていく、或いは、非行であるとか、或いは、不登校とか、或いは、殺人とか、そのようなことも、それぞれの事件ということであるとしても、それぞれの問題ということであるとしても、それらは、一つひとつの事象ということであって、その根底にあるところのこと、それは、人間で言えば、その、意識下の世界のこと、或いは、存在としてのこと、何か、その、現実の世界の根底に、そのような存在、混沌としているところのことがあって、そして、それが、他との相互作用ということにおいて、それぞれの事象、或いは、事件として顕れて来ている、そんなふうに考えていく、その、真空としての状態、そのときにおいても、負のエネルギー状態ということがある、そんなところから、その、粒子ということが顕れて来る、そんなことになっていく、そう、そのようなことになっていく、その、少年の犯罪が起こる、そして、その原因を探していく、それを探していくことになるが、でも、納得できる、そんな理由が見つかったためしがないと思う、そう、そんなこと、評論家が、その、いろんなことを言ったとしても、巡っているだけのことで、そう、それだけのことで、その、本質的なところへ迫っていくことはない、そんなことはないと思う、多分、迫れない、それは、結局は、非現実の世界、そのようなところのことにあって、どのようなことになっていくのかは、そのことは、そのときの、他との関係性ということにあって、それを解明していくことはできないことなのだと思う、しかし、その世界へ這入り込んでいくことは、そのことは、その、可能なことであるとも思う、その本質的なことに出逢うことができるかどうかはわからないが、その、指輪物語にしても、森の中、森の奥深くへ這入り込んでいくようなこととして、行動していくこと、何か、そんなことでもあるのかと思う、そのようなこと、少しずつにしても、その、本質的なところのこと、或いは、存在という、そのようなことの中へ、そう、でも、その、存在ということ、そのことを特徴付けているものは、何なのだろうかと、物理でいう、位相ということなのか、或いは、唯、それだけのこととしてあるのかと、いろんなことに出逢っていく、そんなことをしていく、その時々において、自分自身がどう感じているのか、そのことから、始めていくしかないと思う、だんだんと、降りていくように。