今の小説を読む。

saikaku2005-07-05

一昔、まだまだパソコンというものが一般的ではなかったとき、自分でプログラムを書いて、簡単な計算とかを行っていたことがあった、そして、暫く離れていた間に、その進歩は目覚しく、もう、自分でプログラムを核なんてことでは追いつかず、その変化を追っていくだけのこともできず、何とか、最小限度のことを使いこなす、そんなことで満足するしかなかったようなことが、今の小説、それを読んでいたとき、その、どうしようもなく取り残されている、時代に置いて行かれている、そんな感じを持ってしまった、でも、そう、今の小説、子供のことを扱った小説、どのようなことなんだろうかと、残忍性、とか、そんなことを通り越して、ゲーム感覚で、ということで解釈することもできずに、殺人とか、そんなことが、日常的なことになっている、そのようなことを感じている、そう、どのようなことなのかと、索漠としているとか、そんなことではなくて、浮遊しているということであるかのような、そんなことを思っている、そう、そんなことになっている、どのようなこと、その、殺す殺されるということが、そのことが日常性を持ち始めているということ、そのようなこと、子どもの現実として、そのことが日常的なことであること、もう、その、再起不能になっているかのように、その、10代の年齢にしても、もう立ち直ることができないかのような、そんな現実、それになってしまっているのかと、でも、まあ、そのことは、子供だけの現実ではなくて、大人も含めても、その、社会全体の、その、人に迷惑を掛けること、そんなことはお構い無しに、悪徳商法とか、悪質リフォームとか、そんなことを繰り返していること、そんなことになってしまっている、と此処で思う、その、このことは、今、そう、悪化していることなのかどうか、そのこと、昔はどうだったのかと、もっとよかったのかと、そう、ノスタルジイがあったのかと、でも、昔が、その、人間関係において、よかった、とも思えない、多くの柵とか、生活を縛る、多くの風習とかあったのではないかと思う、そう、そんなこと、でも、今、問題はないのだろうかと、その、人間関係におけること、その希薄化ということは、もうずっと言われて来ている、でも、それが改善しているのかどうか、その道が見えているのかと、そんなことも思う、しかし、無意識ということが発見されてから、その、人間の深層心理、それについても理解が深まったのだろうかと、でも、また、そのことが本当によかったのかどうか、深層心理にメスが入れられたということが、よかったのかどうか、そのことがあると思う、そんなことがあると思う、どのようなことになっているのだろうかと、また、どんなことになっていくのだろうかと、思う。