「少年」から。

saikaku2005-07-14

タマーロの「少年」という小説を読んだ、もう、此処にすべてのことが書いてあるのではないかと思う、その、少年犯罪ということ、そのことがどのようなこととして起こってきているのか、そのことについてのこと、それが書き表されているではないかと、そう、目から鱗が落ちる、というのはこのようなことではないかと思う、表面的は、その、問題がないという、和気藹々としている家庭であっても、その中身のこと、或いは、ちょっとした心のすれ違いということ、そんなことが起こっていくことによって、そう、その、ずれていく、気持ちがずれていく、何なのだろうかと思う、タイミングが悪いとしか、そのようなこととしか言いようのないこと、そんなことが積み重なっていく、そんなことになっていく、もう、そのようなことが、そう、分かっていたんだと思う、そう、タマーロの本、図書館にリクエストしてまで、その全ての著作を読もうとしている、何か、その、惹かれていくところのことが、内実のことについて、或いは、魂のことについて、そのことについてわかっている、その声を聴くことができるという、そんな資質を持っている、そう、そんなことだと思う、その、霊媒者とか、そんな怪しげなことではなくて、そのことを商売にしていく、そんなことではなくて、普通のこととして、そう、そのようなことを表現できていく、その父親が、道教に興味関心があったということ、どのように影響しているのだろうかと思う、何か、確かに、東洋的なところのこと、それを感じている、でも、もう一度戻れば、その、少年犯罪、ということ、実は、大人の犯罪、そんなことなんだと思う、そう、その、何か分からないままに、企業のために働いてきた団塊の世代という、その大きな集団がいる、そのこと、大量定年時代を迎えている、それが、その、自分の生き方、それをしていくのだろうかと、農作業を遣っていくとか、そんなこともある、それも、まあ、みんながそれをするからとか、そんなことに、どっと、その方向へ進んでいくのだろうと思う、そのようなことを思う、そのこと、何か、人間としての生き方、自分の生き方ということを、その、自己の方向性、その上に立ってのこととして、人間関係の有り方とか、そんなことも、自分の生き方の方向性、それがあって、そして、人との関係ということが、そのことが正しいモノになっていく、そのように思う、そう、人との関係ということ、談合を調整することに自分の存在意義を感じている、そのような生き方も、まあ、生き方としてあるけど、それだけのことであると思う、どのようなことを行っていくのか、そのこと、自分の生き方のこと、どのように生きていくのか、「心のおもむくままに」の最後の言葉、じっと待っている。