結末を忘れている。

saikaku2005-07-20

そんなことが多い、本を読む、そして、一気呵成に読んでしまう、それはいいとして、その後、暫くして、その結末、どうだったけ、と、どのようになったのかと、そのことを忘れてしまっている、そう、そんなことがある、映画を観る、或いは、ビデオを観る、そう、そのとき、確かに観ている、でも、その最後、そのことがどのようになっていったのか、何回も観ていれば、それは、話の筋だけではなくて、科白に一つひとつまで、どのようなことを言うのか、それもわかってしまっているが、そうではなくて、1回観た、そのようなとき、それがどのようになっていったのか、そのことを忘れてしまっていることがある、まあ、関心を持っていなかったというだけのことかもしれないし、その、心に残るところのことがなかったと、それだけのことなのかもしれない、或いは、その、細部に拘っていくようなこと、本を読むということにしても、何か、意味のある文、それを書き留めていくというようなことをしている、そう、そんな読み方、全体の流れ、その文脈を把握していくようなことではなくて、その、一文、そのことを書き留めていくような、そんな読み方をしていることも影響しているのではないかと思える、そう、そのようなこと、全体のこと、そのこと、もう少し、その、全体のことを把握していく、そんな読み方をしていかなくてはと、そう思っている、そのようなこと、細部に拘って、木に拘って森を見ていない、その、一本の木から、森全体のことを想像していくこと、そのことができるのかどうか、或いは、逆に、森全体のことから、一本一本のこと、そのことを見ていくことができるのかどうか、その、独りの人の話を聴いていくこと、そんなことをしていく、そして、そのことから、何か、その、細部のことを繋ぎ合わしていく、そう、そのようなことによって、その人間性ということについて、何か理解していくようなこと、そんなことがあるのかどうかという、その、独りの人、その、或いは、自分自身としてのこと、その心の奥底、底に何があるのか、そのことを突き詰めていくことが、何か、全般の、その、万人に共通する、何か、普遍的無意識とか、集合的無意識とか、そんなことに辿り着くことができるのかどうか、何か、そう、自分への思い上がりということも考えていきながら、そのところのこと、自分だけのことに拘っていくということでもなくて、そう、一つのことに、その、細部に全部のことが宿る、という、何か、そんな諺、それもあったのではないかと、でも、どうなんだろうかと、全体ということを部分ということ、何か、段差、それがあるような気がしてならない、それは違っているものだと、異質なものだと、そんなようなこと、群盲の象、そんな言葉もあった。