生活時間を組み直す。

saikaku2005-07-22

脳の一部しか遣っていないということ、その、遣っているところのこと、自覚しているというか、意識しているということなんだろうと思う、でも、その、自覚していない、意識していないところでも、脳が働いている、そんなことになっている、そのところのこと、自覚はしていないけれども機能しているというところ、それが、結局は、無意識ということなのではないかと思う、意識下、というか、意識外、そんなことなのだろうと思う、ポアンカレが数学の問題を解くときにも、そのようなことがあったと思う、意識していないでも、数学の問題を解いている、そんな働きがあるのだと、そんなことを読んだことがある、そう、本を読むこと、そして、書いていくこと、そのことを連動させてきていた、午前中には書くこと、昨日のこと、いろんなことについて、どんなことを感じていたのか、そのことを書いていくということをしていた、そして、午後には、読むこと、或いは、人の話を聴いていくこと、そんなふうに生活時間を割り振っていた、でも、その、想うところのこと、その、受け容れたところのことについて、自分がどう感じているのか、そのことを纏めていく、そのことについても、このように書いていくということもできるが、漫然と書いていくこと、纏まりなく書いていくこともできるが、何か、そのこと、それをメモっていくということで、そう、そんなことでいいのではないかと、その、受け容れていくということがある、そして、いきなり、書くということではなくて、表現していくということではなくて、その、受け容れていくとき、キーワード、それぐらいには注目していくことにして、そのワードを見ながら、そのことについて想うところのこと、感じるところのことを纏めていく、そのような時間、それが必要なのではないかと思う、そう、そして、そのことについて、纏めたこと、そのことが、その、書くことの材料ということになっていく、そう、表現していくことの、そのことについて、自分の考えを纏めていくことの、その材料、或いは、ヒントということなっていく、何時する、そう、夜の時間、ということになるのだろうかと思う、そう、午後、受け容れていくことから始まっていく、いろんなことについて、そう、でも、午前中のこと、10時ごろまでのことになっていくのではないかと思う、そう、そして、それから、読んでいくこと、或いは、受け容れていくことになっていく、そんなことになっていく、そう、どのようなことになっていくのか、夕方頃まで、そう、時間は、はっきりとはわからない、そして、夜、その、受け容れたことについて纏めていく、そのことが、翌日の、その、書くということにつながっていく、そのような生活時間、受想表、その3段階、そのような生活時間になって行く。