早朝に書く。

saikaku2005-07-26

今、この時間に書き始めている、日記ということよりも、朝いちばんの記録ということに、そんなことになっていく、どのようなことが、その、睡眠中に起こっていたのか、というか、夢日記、それに近いようなことになっていくのかもしれないと、そんなことを思う、その、自分自身がどのようなことであるのか、その、結局は、脳の働きとして、心の状態がある、そのことを理解していく、或いは、人間性とか、そのようなことも、脳の働きとしてのことなんだと思う、そのことから組み立てられていることではないかと思う、そのことを理解していく、自己を識るとか、そのことも、脳の働き、そのことについて理解していく、そんなことなんだと思う、そして、そのことについて理解していく、その、神経回路網がどうなっているんだとか、そのようなことからアプローチしていくということもあると思う、そのようなこと、そして、もう一つのこととして、その、自分自身の、その、アウトプットとしての、そのこと、或いは、表現する、芸術的な表現ということも、その、無私な、そのようなところのこととして、ただ、純粋行為としての表現ということ、そのようなことから、その、脳の働き、それを理解していくこともできるのではないかという、そんなことを思う、その、私利私欲に駆られない、自分を誇示しない、まあ、そのような方向へ進んでいくということも、それも、脳の働き、そんなことことなのかもしれないが、その、全体としてのこと、総体として、脳の働きということを捉えていくこと、その、いろんなこと、一つの意識領域、或いは、自我意識、そのようなことではなくて、その、全体的なこと、そして、連絡がよくとれていること、そんな状態において、自己を表現していく、何か、そのことから、分かってくるものがあるのではないかという、そんなことを思う、そして、今、このように、早朝に書き始めていく、6時に切り替わる設定を変えて、今、このように書き始めていく、そう、このように書いていくこと、雑然と、纏まりがなく、その、あっちへ行ったりこっちへ飛んだりするような、そんな書き方を敢えてしていこうかと思う、その、関連がなさそうなこと、でも、何か、そこに、共通項を見出していくようなこと、そのような書き方、或いは、それも、夢を分析していく、夢の内容から自己についての理解を深めていくようなこと、そのような方法に似ていると思う、そのような在り方、これも、このような方法も、その、一つの哲学的な手法といえるのか、と、そのように思う、どのようなことになって行くのか、先ずは、このようなことを続けていく、自己に習う、ということ、そして、だんだんと、自己を忘れる、その結果として、わかってくるところがあればいいと思う。