本当はどうだったんだろうかと。

saikaku2005-07-30

いろんなことが起こって来ている、静かに起こって来ている、その、いろんな話を聴いていく、距離があっても、遠いところの話でも、その、位置関係には関係なく、いろんな話を聴いていくということにおいて、自分の内での変化ということが、或いは、距離があるということに、何かしら安心感ということを、それを持っているということもあって、却って、その、無防備なところへの、その影響ということが齎されたということもあるのではないかという、そんな気もする、或いは、だんだんと、そのようなことが、ジワジワっとした変化が、ゆっくりと進行する化学変化ということが、それが起こっていたのかと、その、何か、その、気づいたこと、閃いたこと、それは、どのようなことかわからないが、何処か一つの脳細胞が、その回路の接点にある神経細胞の一つが、何か異常電流を発する、それに気づかなければ、まあ、そのままのこと、でも、それを意識する、何か、その、閃いたところのことを、それをキャッチする、そして、そのことの意味、それがどのようなことなのか、そのことを、例えば、このように、少し言葉にしていく、その、異常電流の意味を、そのことを考えていく、そして、再び、その回路、今度は少し数を多くして、その、異常電流が流れる、そして、また、そのことを言葉にしていく、そして、だんだんと、そのようなことを繰り返していくことによって、その回路網、それがだんだんと定着していく、可塑的に定着していく、そんなこと、そのような変化が起こる、そして、それが突然に意味を持ってくる、そんなことが起こるのではないかと、その、過書、ということがある、書き過ぎること、それは、癲癇発作に関連しているらしい、そんなこともあるらしい、ドストエフスキーが、その実例であると、何か、でも、そう、普通のことなのではないかと、そんなこと、その、普通のことであるという、その言葉が、そう、崩れてしまっている、言い方を返る、健常者、そんな言い方もある、また、定型発達者とか、そう、でも、言葉を換えても、その、普通ということ、そのことが崩れてしまっている、その、自分が普通ということに、そのことに含まれて居ること、そのことを自然に願っているようなところがあると、でも、そのようなことが、何か、その、普通という概念があるということを自然に思い込んでしまっていることが、この空間や時間が、静的なものであると、自然と思い込んでしまっていることが、ある、でも、それはそうなのではなくて、唯、そう願っているということであって、そう、実際はどうだったんだろうかと、本当はどうだったんだろうかと、そのことになっていく、過去のことに向かっているのか、でも、それが、これからのことにも関連しているような、そんな状態になっている。