タイプと筆記。

saikaku2005-08-02

以前はノートに書くことをしていた、ある学習を始めてからのこと、ノートの書くことを一生懸命に行ってきた、もう一度読み直すということでもなくて、唯、その時々のこと、或いは、その学習内容を振り返っていくこととか、そんなこととして、或いは、自分の感性、というか、丁度、その延長線上にこのように書いているということもあるのではないかと思うが、このようなこと、好き勝手に、思いつくままに書いていくこと、それは、そのときから始まっている、そのこと、初めのうちは、ノートに書いていた、そう、でも、何時の頃からか、そのことが、PCにタイプすることに替わっていった、その、速いから、思っているところのことを、そのままに、速く打ち込んでいける、そのままに打ち込んでいける、心の状態と、というか、脳内のことというか、そのことを連動していくように、指先が動いていく、そんな感覚で、思いつくままのことを書いていく、そんなことを行うようになってきた、でも、何か、そのことの弊害、その、このように書いていても、そのことが、その、充分、自己の内のこと、そのことを表現していることになっているのかどうか、そう、そのことを疑問に思う、そんなことになってきている、その、脳内が、その、考えていること、そのことを充分に、その、よく考えながら、そして、表現していく、また、その思考が広がっていくこと、連鎖していくところのことも見極めながら、その書いていくということ、そのことであれば、もう一度、ノートということでなくても、その、A4の紙一枚の、その、自分の感じているところのことを書き込んでいく、一直線上に、というか、このように文章として、列として並んでいるということではなくて、そう、一行に並んでいることではなくて、そう、並列して、同時進行的に表現していくようなこと、そんなことが、そう、表現していくことの方法として、そんなこともあるのではないかと思う、何か、そんなことを盛り込んでいこうとして、その、どのように、その、生活というか、読むことと書くことを、そのことを成り立たせていくのか、そして、新しいことを知っていくこと、外からのこととして、多分、脳は、新しい情報に飢えている、そんなところがあると思う、外からの情報を遮断すれば、狂気が起こって来るという、そんなことがあったと思う、無音室の人体実験か何かで、新しい情報を求めている、それがなければ、自分で勝手に創り出していく、そして、自家中毒に陥っていく、そんなことにならないように、読んでいくこと、そして、そのことについて、自己からのこととして、表現していくこと、その表現が多彩なモノになっていくように、筆記するということ、その書き方に工夫していく余地がある。