思いつきから。

saikaku2005-08-12

始まりは単なる思いつき、そのことから始まっている、でも、そのことが、思いつきだけに留まらず、何かにつけて、その方向へ、だんだんと集積してくるようなことになってくる、どのようにしていけばいいのか、止まるところをどう確保していくのか、どのようなコースになっているのかとか、そんなこと、そのこと、意識的に考えているということはなくても、その、無意識というほど遠い、というか、感知していないということでもなくて、自然と、その、インターネットにおいても、自然とそれに関するサイトに接続していて、そして、何らかの情報を集めようとしている、そのようなこと、心の底で、だんだんと、それが形をなってくる、そう、でも、思いつきの段階で、浮かばれずに、そのまま沈んでいってしまう、そんなこともあるのだと思う、その、だんだんと形を成し、浮上してくる、そして、それを実現していこうと、そう、そのような方向へ進んで行くこと、そのようなこと、それは確かなことだと思う、そう、そして、そのようなことには何か意味を持っているということが、そんなことがいえるのではないかと思う、また、その意味を考えていく、その為に、どうしてそのようなことになってきたのか、実現化するところまで、そこまでに至ったのかということ、そのことを考えていくことも大事なことなんだと思う、でも、その進行というのは、ゆっくりとしている、拙速にはことを進めない、そう、ゆっくりとしている、でも、それが、意識化されてくる、そんな段階になってくれば、そう、何か、てきぱきと、一つひとつのこと、それを実行に移していく、そんなことになっている、四国遍路のこと、何処からそのようなことになってきたのか、そう、そのことが不思議なことであるが、でも、来週行くことに、そのようなことになると思う、これから、毎年のこととして、少しずつ歩いていくということになるかと思う、でも、その、白装束、とか、菅笠とか、杖とか、まあ、そのようなものは持たないで、只管、歩くということ、そのことに徹していきたいと思う、そして、どのようなことから、その、このことに思い至ったのか、そのことを自分に納得していくことを、まあ、一つの目的として考えていく、一応の計画、それは立てた、宿泊場所も確保できた、でも、少し強行軍かと、頑張りすぎているかと、そんなふうに思える、特に、11番の藤井寺から、12番焼山寺、13番の大日寺への山越え、というか、遍路転がし、とか名前がついているらしいけど、それを超えていくことができるのかどうか、不安に思っているところもある、そんなところ、でも、まあ、何とかなっていくのだろうかと、只管歩く、そして、只管話を交わしていく、そんなことでいいかと思う。