再び、書き始めていく。

saikaku2005-08-22

これからの在り方、どのようなことをしていくのか、そのことを、自分自身に納得していくように、一つひとつのこと、或いは、一歩一歩の歩み、そのことが、少しずつ、その、自分の内に蓄積されていくようなこととして、或いは、そのときどきにおいて目にするところのこと、或いは、耳にするところのこと、そのことが、新鮮さを持って、感性を刺激して行きながら、その、自分の方向へ進めていく、そんなことになっている、同行二人とかいう言葉、それは、弘法大師が附いているということではなくて、そのようなことではなくて、道端に咲いている草花や、立ち止まると直ぐにでも寄ってくるような、自分の居場所は此処だといわんばかりに寄って来る、蚊とか虻とか、そのような虫も、何か、その、道行に附き従ってくるような、そんな気がする、或いは、そのときどきの風景、或いは、枯葉とか倒木とか、そんなことも、あらゆるモノが、その、一本の道、その両側から、その、感性を研ぎ澄ませて行けば、多くのモノが、その、捉えられないほどに、そう、押し寄せてくる、そのようなことが、何か、二人ということではなくて、そう、全てのモノからの、その、何と言うのか、気というのか、それを貰っていくこと、そんなことができると思う、そう、そのようなことを捉えていうこと、そんなことによっても、11番から12番の山の中、その山道を歩いていくことにおいても、その、自分のこととして、何か、どうなんだろうかという、どうなっていくのだろうかという不安感、そんなことは少しも感じないで、その、歩くということ自体を、その、向こうに見えている曲がり角、そこまで行けば、次にどんな光景が拡がっているのか、そんなことも愉しみに、そう、何処までも歩いていけそうな、そんな気がする、どのようなことにおいても、その、直接的に目を楽しませくれる、そんなことがなくても、その、受身的なことではなくて、そう、どのようなことにおいても、今、この場所においても、そう、自分へ語り掛けてくるような、そんなモノに溢れている、そう、そのようなことを思う、自分の感性を研ぎ澄ませていくこと、その、周りのものからのメッセージ、それを受け取ることができるのかどうか、それは、相手の問題ではなくて、あくまでも、自分自身の問題ということがいえる、そのようなことだと思う、唯、自分だけが、その、自分の足で歩いていくしかないということ、そんなこと、唯、自分のペース、それを守っていくこと、それだけがある、そう、一つひとつのこと、そのこと、次の寺までのこと、唯、一つの目標として、そのことがあって、その過程、道行において、どんなことが待っているのか、人との出逢いということも、唯、その、多くのモノの、その一つのことでしかない。