自我と自己。

saikaku2005-08-25

その、自分というものの構成を、自我と自己、そのように区分する、自我という、或いは、マナ職という、そのようなこと、或いは、自意識という、そのようなところ、その下部構造として、自己、或いは、無意識界、阿頼耶識、何でもいい、そのようなところを想定する、或いは、もっとその心の構造について分析していくことも可能なことなんだと思う、古代の人間、或いは、今にしても、チベットの修行僧とか、オーストラリアのアボリジニーにおいても、その、心の本性、それを探求しているというのか、感得していこうとしているというのか、そのような人間もいる、古代の人間、それは、何か、宇宙人なのではないかという、そんな感じもしている、そう、そのようなこと、心の分析、それを行っていく、そのような生き方がある、その、密教的な生き方、それもある、その、チベット仏教、バルドに留まる日数が49日間、何か、四国遍路に掛かる日数に似ている、そのようなことの関連、その、今のこと、現代のこと、その、堆積してしまっているところのことがある、情報として、或いは、知識として、厚く堆積してしまっているところのことがある、その、多くのモノを持っている、多く所有していることが、何か、自分を守る、自我を守る、自意識を維持していける、或いは、自分の存在を確認していける、そんなこととして、そう、染み付いている、でも、それは、脆弱なもの、人間関係のこと、名刺の厚みで人脈の多層性を誇る、でも、誰しも同じことを考えている、自我の認知、それを求めている、お互いのこととして、そのようなことを求めている、その、相手の存在、それによって自我の存在、それを認めていくこと、相手の鏡に映る自分の像を見て、自分の存在を確認するという、複雑なことをしている、そのようなことをしている、人間関係に自縛されてしまっている、多くのことを持たない、何も持たない、でも、問題は、そのような、相対的な関係によって自分の存在を確認していくということではなくて、自己ということ、その、心のこと、自己からのこと、そのことに基盤を求めていく、そのような絶対的な関係を築いていくこと、何か、それが、その、自立すること、そのようなことと思える、自己からのこと、自己との関係、そのことを先ず、対等なものとして、その関係を維持していくこと、或いは、深化させていくこと、そのようなことにおいて、人間の成長ということが、そのことがあるのだと思う、でも、心の本性といっても、心が脳の機能であれば、結局は、自分の脳、頭蓋骨に入っている脳、その脳の機能を高めていくこと、何ができるのか、そのことを展開していくこと、そのためのこととして、対等な人間関係、そのようなことが必要なことになってくる、自分だけは、多分、自家中毒に陥ってしまう。