忘牛存人。

saikaku2005-09-13

自分自身の内にあるところのこと、そのことを表現していくこと、何か、そのことに尽きていく、あらゆることに触れていく、そして、そのことの中で、自分にとって意味のあるところのこと、何か、反応するところのこと、そのこと、表現するということ、或いは、行動するということ、歩くということ、そんなこともある、自己のこと、それを実現していくこと、そんなことになっていくと思う、そう、自分にとって意味のあるところのこと、そのようなことに近づいていくということ、ケルトの音楽、それを聴いていくように、或いは、どのような本を読んでいくのか、そのことについても、自分にとって意味があるということ、何か、応えるところがあるということ、そのようなこと、或いは、人の話を聞いていく、そんなことにおいても、どのような話を聞いていくのか、また、どのような映画を観ていくのか、ということについても、その、本質的なところのこと、それが顕れている、そんなものに触れていく、その、少し以前には、何か、すべてのもの、それに触れていくことが、そのようなことが必要なことであると考えていたが、でも、そのようなことではなくて、今は、自分にとって意味のあるところのこと、そのことに触れていく、そして、表現していくこと、その、自己の内にあるところのこと、或いは、今までにも抱えてしまっているところのこと、それを表現していく、そう、そのことだけを考えていく、また、実行していく、そのようなことを続けていく、そして、いつか、その、自分自身への拘り、それも失くしていくことができるのではないかという、そんな気がしている、今まで、その、黒牛を探していた、そして、それを飼い馴らしていく、そして、その、全体のこととして、それを一体になるというか、自分そのもの、それを失くしていく、そのようなことが可能なことなのではないかと思う、第七図というのは、そのようなことを表していると思う、忘牛存人、そして月を観ている、そのようなことをしている、そして、その次のこととして、第八図として、全部を失くしてしまう、人も牛も、倶に忘れ去られてしまう、そんなことになっていく、どのようなこととして、そんなことになっていくのか、その変化、相転移、いつのことなのか、兎に角、今は、その、自分のこととして、自分を忘れていく、自分への拘り、この文章のように、自分自分と書かなくなっていくようなこと、そんなところのことまで、そう、自己を表現していく、帰り道、半月を観る、何かを、その月に観られているようなところ、それを感じていた、そのときに感じていたところのこと、こんなことだったのではないかと思う、そう、満月のこと、そんなこと、自分自身を無くしていくこと、そう、今は、そのようなところへ、表現していくことを続けていく、そのようなことを行っていく、そして、満月を迎える、その先へ、できるのかどうか、でも、そのようなことを超えてから、その、自然のままに生きていくことができるのどうか、そして、もう一度、社会へ出て行くということが、そのときのこと、人間関係を構築しなおす、というか、もう一度、人間関係へ、そのことへ戻っていくという、そんなことになっていくんだと思う、そう、何か、そのような道筋が観えている、そんなことになっていると思う、そのようなこと、先ずは、そう、このように書いていくこと、自己を表現し続けていくこと、今は、このこと。