庭との対話。

saikaku2005-09-21

だんだんと、その、庭を創っていく、今は、雑草に覆われているところが多い、そのことも、草取りをしながら、だんだんと、庭を創っていく、その、少しのこと、手を加えていく、草取りをする、そのことだけでも、少し空き地が出来る、その、庭の様相が変わる、少し変わる、そして、そのことを見ながら、次のこと、もう少し、その空き地を増やしていくのか、秋の虫の為に、そのままに残していくのか、そんなことも考えていく、考えていくということよりも、自分からのこと、その、手を加えていく、そして、そのことによって、どのように変化しているのか、全体のことを見ながら、もう少し、或いは、別のところへと、或いは、草花を植えていく、もう少し、黄色の花が欲しい、そんなことを思っていく、そのようなこと、その、少しずつの変化、そんなことも愉しみながら、次のいってのことを考えていく、そして、そのことを想定していく、どのようなことになっていくのかと、その、一気呵成に作り上げてしまうこと、そんなこともあるのだと思う、設計図どおりに作り上げてしまうこと、そんなこともある、でも、それで、カチッとしたものが出来上がる、そう、でも、それは、面白くないようにも思う、少しずつのこと、その、一つひとつのことが全体にとって、どのような変化を齎していくのか、そのことを見ながら、そして、次のことを考えていくことの方が、何か、人間としての、その内部の、その全体性ということが、そのことの中に創造されていくという、そんな気がする、人との対話ということにおいても、自分の考えているところのこと、既成概念、それを一気呵成に喋ってしまうということもある、でも、まあ、そのようなことよりも、自分の一つの言葉が、相手にどのような変化を齎しているのか、相手から、どのような反応が返って来るのか、それを受けながら、次のことを、そのことについて、自分の感じているところのこと、そのことを次の言葉として伝えていく、そんな遣り取りができる、そのようなことができる、そのようなことによって、始め、予想していたこととは、全然、別の結果、そんなところへ辿り着くことにもなっていく、そのようなことの方が面白い、軌道修正、それを加えながら、その、全体的なこと、そのことを見ていく、そう、或いは、自分の感性ということを磨いていくということ、そんなことができるのではないかと思う、庭との、それは、丁度、対話をしているようなこと、そう、庭とも対話をしていくことができるということ、また、人との関係ということにおいても、そう、そのようなことの方が、楽しいことであると、そのようなことを思う。