全体性へ。

saikaku2005-09-26

一つの庭が完成する、その形を整えていくのに、12年掛かるらしい、ターシャ・チューダの庭ではそうらしい、それほどの年月が掛かっていく、それは、人が成長していくのにも似ている、それほどの年月を掛けて、その、纏まっていくということらしい、そのようなことになっていく、庭が完成すること、その、自律的なところのこと、手を加えていくところのことがあっても、庭全体として、その調和を保ちながら移ろっていくこと、そんなことが可能なことになる、それまでのこと、そう、庭の個性ということ、そのことが発揮されていくこと、そのようなこと、だから、庭も、一つに人格として、そんな性質を持っている、そのようなことが言えると思う、これからのこと、まだまだ数年は、雑草との戦いが待っている、でも、雑草という草は無いとも言われるが、一旦雨でも降れば、大挙して根を張り始める、茎を伸ばす、葉を広げる、そして、種を落とす、それが、また、芽を出す、その繰り返し、それが後暫くは続いていくのだと思う、それに負けてしまっている、そう、色とりどりの花が咲き乱れている、そんな庭になるのには、まだまだ時間が掛かる、その、幼児期のこと、まだ、天地が分離していないように、自他の区別ということも無く、無垢な全体性ということの中に生きている、そして、その、個性が芽生えてくる、或いは、自我が発達してくる、いろんな花を咲かせていこうとしている、そう、そのような方向へ、自分ということ、その能力を社会的に認知してもらうこと、自我を認めてもらうこと、そんな努力を行っていく、それも自然なこととして、人間の成長ということにおいては、極自然なこととして、そう、そのようなことになっている、でも、その、栄光、それにいつまでも拘っているということ、いつまでも認められていたいとするところのこと、そのような気持ちがある、自我ということから、そのことに拘っているところのことがある、いろいろな花が咲いている、そう、どれがどうということもなくて、いろんな花が咲いていることの方が、その、全体として、その、全ての、そのような個性を持つ花が咲いていることの方が、そう、更に自然なこととして、何か、歌の歌詞にあったような、そんなところのこと、そして、それぞれが、その、個性的なことでありながら、その、全ての花が繋がっているという、何らかの繋がりを持っているという、そんなところのこと、色の配色、そんなこともある、その、全体としての纏まり、という、そのようなことが実現化されていること、そんなところが、次への段階として、そんなことがあるのだろうと思う。