心の襞を、書く。

saikaku2005-11-07

また一週間が始まっていく、月曜日、何か、気持ちが沈んでいる、ブルーマンデー、そのような状態にいる、今週は何をしていこうかと、そのことを考えていく、計画を立てていく、前向きな気持ちを保持していくように、もう一度、というか、何回も何回も体勢を立て直していく、生活のあり方を立て直していく、問題は、自己を表現していくということ、そのことにある、どのように表現していくのか、それが不十分なものであると、どうしても、休日には、それが不十分なものになってしまう、そして、哀しみの気持ちが顕れて来る、そのようなことになっていってしまう、多くの本を読んでいく、そして書いていくという、その生活の基本、それを取り戻していく、哀しみということ、自己を十分に表現することができないこと、自分の感じていることを十分に表現することができないこと、それが哀しみの根源になっている、人に期待していることとは違う、他者にわかってもらうというではない、そのようなことではなくて、あくまでも自分自身のこと、自己を表現していくということができないということに哀しみの素がある、心の内のことについて、それを丁寧に、また精緻に表現していくこと、それが大事なことなのだと思う、正倉院展に行かねばならないという、そんな気持ちがしている、古代の人のこと、ものづくりにおいて精緻な表現を行っていること、精根を尽くしているところ、それを観に行って来ようかと思う、何か、そこに大事なことが、或いは、ヒントが隠されているのではないかと、そんなことを感じる、一つのことに打ち込んでいくということが、単に、自己を表現するということ、それを超えている、そして、また、時代ということ、1300年という時間を越えている、そのようなことが起こっている、何かがあるのだろうと思う、古代の人の感性というのか、花鳥風月、それに寄せる思い、そこから学びとっているところのこと、そして表現していくということにおいて、その精神を集中させていくこと、何か、ヒントが得られるのではないかと思う、今、私に必要なことは、自己を表現していくということにおいて、その、純粋な精神の発露ということ、表現していくことにおける精緻さ、そして自己を超えていくこと、豊富な知識も必要なことなのだろうかと、そのことが多過ぎはしないかと、そのことによって、却って、自分自身のことが見えなくなっている、自分自身のことがわからなくなっている、多くの知識を持っていることが評価の対象になっている、そんなこともある、でも、そのことは違っていると思う、丁寧に自己を表現していくこと、その微妙な心の襞というところのこと、それを表現していく、それが大事なことなんだと思う。