太陽と北風。

saikaku2005-11-11

人間の歴史、それは、対立抗争戦争を経ながら、如何に異質なものを受け容れていくのかという繰り返しにあると思う、そして、そのことは一人ひとりの人間の問題でもある、如何に自分とは違うものを受け容れていくのか、どのように他者との関係性を維持していくのか、その人間関係という大きな問題がある、発端は、人間の心が、或いは理性といってもいいのか、それが、他者を自分と同じものと見做していくような性向を持っていることにある、自分の視点でしか見られなくなっているところにある、自然界においても、また社会現象としても何か法則があるはずだと考える、事実、いろいろな法則が確立されてきている、しかし、そのことが逆転してしまう、法則に従って現象は起こるはずであると、また起こらなければならないとまで思い込んでしまう、自分の期待も込められているのかもしれない、古い話、必然的な歴史的過程として、プロレタリア革命が起こるのだということもあった、また信じ込んでいる人間も多くいた、イデオロギーに固まってしまっていた、それを利用してか、権力を奪取した国もあった、崩壊した国もあり今も存続している国もある、戻る、人間の心は、他者のことを自分と同一視していくという基本的性向を持っている、そのことから、程度の問題として、異質なものを受け容れ難くしている、その問題からどう解き放していけばいいのか、一つは、大乗仏教がそれに答を与えている、空ということを提唱している、或いは、単純に、人はそれぞれ違っているということ、それを前提にしていけばいいのだと、異質が当たり前と考えていくように、と、でも、精神論では片付かない、今、必要なことは何なのか、同化政策なのかそれとも共存政策なのか、もう一度、基本的なことから、異質なものどうしの人間関係が初期段階としてある、次に明治安田生命のような組織間の統合とがある、そして、イスラエルパレスチナのような民族間或いは国家間の対立の問題がある、人間関係を巧く維持していくこと、組織間の統合を図っていくこと、民族間の融和を求めていくこと、どのように他者と関わっていけばいいのか、基本はそこに戻ってしまう、そのことを、今、真剣に考える時機に来ているような、また、何か行動として起こしていかなければならないときになっている、今の状態が続いていけば、完全に溝が深まり、決定的な戦争が勃発してしまう、そんな瀬戸際にいる、現代は高度情報化社会として、他者の生活や他国の生活のありようが、瞬時に伝わり手に取るように分かってしまう、そして、自分の生活の貧困さに気づかされ、そこに納得できないモノを感じ、今の生活、ひいては社会体制までも否定する行動をとっていく、車に放火するということ、そこには車というものに依然として富の象徴を感じとり、そのような差別を生んでいる社会体制を破壊していく行動をとっている、差別意識が深行していた、そのような階層構造ができあがっていたのだと思う、どのように和解し合えるのか、そのヒントとして、太陽と北風の比喩を思い出す、また、深く分かり合えるという、その知恵の発露も可能なことなのだと思う。