更に言葉を洗練させて。

saikaku2005-11-14

思いのままの文章を推敲する、それこをこの日記に上げていく。

始まりは心の内、星の誕生のように、隕石が集積し融合し熱を発生する、更に集積し融合する、一つのイメージが成長していく、そのときも熱の発生が必要、冷めていては拡散し失敗する、企業の合併も同じ、熱気がなければ単なる寄り合い所帯、新しいものを創造することへの熱気、それが問われている、本を読むこと、他者を受容することへの熱気、自然発生的な熱気、それが核心。

ラテンアメリカ/光と影の詩』を観る、美しい映像だった、『モーターサイクルダイアリーズ』よりも、染み込んでくるところがあった、父親を探しに行く、南米最果ての地から旅が始まる、いろいろな風景、文明の発祥地、さまざまな人物、社会の有り様に出逢う、父親探し、或いは自己内の父性を求める旅、その方向は高校では見つけられない、学校が傾いている、額縁が落ちる、島全体も傾いている、落下し壊れていく、分かり合えない、揺り動いている、洪水が押し寄せてきている、水に流されていく、棺も流されて来る、そのような中でも生活している人がいる、自分から何かを求めていく、そして自分へ戻って来る、結局は行かなかった、気持ちは先行していた、しかし自分に還る、もう一度自己から始める、そんなことになっていく。

言葉が洗練されているのかどうか、そのことによって人間性を見分けていく、その指標としていく、相手の言葉も削ぎ落とす、結局、何?、それでいい。

聞くことの意味、自分にとっての意味、一つの研修会に参加する、「聴くこと」をテーマにした研修会、講師は延々と喋る、時間オーバーしても延々と喋る、矛盾している、でも、人間関係を復活させていくこともなく、今までの勉強の方向が間違ってはいなかったと確認する。

「様子を見る」ということ、その関わり方が基本的だと思う、それぞれの生き方がある、人に関わっていく、また指示していく、相手の領域へ踏み込んでいく、それはお節介なこと、干渉していくということ、「様子を見る」、様子が見られている、ただそれだけでいい、それぞれの場で感じていることを言葉にしていく、それを聞いていく、それだけで生き方に関わっている、学校教育が基本的に間違っている、教えていくとか指導していくとか、その考えは奢り、教育のあり方が間違っている。

「標準」という言葉を死語にしたい、人間の心が作り出す、標準、中流意識、平均という言葉、それを無くしたい、それは不安心理から生まれて来るのか、、自分が存在を、その平均値辺りに置きたいのかと、人それぞれの生き方、自分の生き方に自信を持つこと、他者からの干渉、出る杭を打つ圧力、それを気にしない。