物語の意味。

saikaku2005-11-22

物語、その言葉の意味がいま一つ分かっていない、よく遣われている、でも、そのことの意味、どのように生き方の問題に関連してくるのか、そのことがわかっていなかったと思う、でも、今、何かしら、そのヒントが掴めそうに感じている、このように書いている、具体的に何を書くのか、テーマは何なのか、そのこと、自分でもはっきりと分かっていないのに、只、書いている、タイプしている、このように書くということが、自分にとっても必要なことであるということははっきりとしている、だんだんと明確なことになってきている、その為、早朝にも拘らず、目が覚めて起き出す、苦もなく起き出して来る、しなければいけないという義務感とも違っている、愉しさも含まれている、そして、このような方向へ進んでいるということが、どのような展開になっていくのか、愉しさの素は此処にある、方向性を持っていることが、丁度、物語のストーリ展開ということなのではないかと、そんな気がしている、今、どのような状況の中に置かれて居るのか、そして、この状況下で、どのように行動していこうとしているのか、自分自身の方向性を見出そうとしているのか、此処に、物語が自然に生まれて来る、そんなことになっていくのかと思う、このようなところで、人間の生き方の問題に関係してくるのかと、水戸黄門、そのような物語もある、どのような事件が起ころうとも、結末は決まっている、そのような物語がある、また、それを見て安心を得るという、そのような物語がある、学歴社会ということがインプットされた物語もある、薔薇色の未来が保証されているかのような物語もある、金を儲けていくことに、人生をささげるということもある、ただ、そのことだけに汲々としていくこと、そのような伝記本も多くある、学問的なこと、数学の美的な定理を求めていくような生き方もある、何かに囚われていること、実際のこととして、自分の物語を生きているのかどうか、他者の成功物語、それをなぞっているだけのことなのではないかと、自分も同じような結末を迎えることを期待している、自分にとっての核心、只、自己に生きていくことが大事なことなのだと思う、その自己を通して、異次元の存在とでもいうのか、それと繋がっている、その感覚がどこか基礎にあるような、その存在を他者に委ねてしまうことは、オウム信者がまだ蔓延っているような、その依存性、或いは、人間の弱さを深めてしまう、あくまでも、その存在というのは、自己を通して観ていくことになっていく、私にとって、このように書くことは、何かに促されているかのような実感を持っている、自分が必要とされているという、その、自分の存在ということを確定していく為には、非日常的な存在、その関係性が、どうしても必要なことになってくる、でも、このようなことを書いていくことも、難しいことだと思う、依存性ということへ転落していくという危険に満ちている、そのようなことになっていく。