物語の意味3.

saikaku2005-11-24

今、このように書いていくこと、それは、地下からの音、それを拾い上げている、地下からの声、それを聞いている、そして、言葉にしているという、そのようなことなんだと思う、いろいろなことを経験してきている、日々の生活において、いろんなことに出逢っている、そのときには、何も感じていないということであっても、その、何か、心の底へ響いていくもの、或いは、それに感応する自己の内のこと、自己内に、外からの情報に感応する、そんなところを持っている、或いは、相乗効果なのかと、そのような出逢いによって、その、地下何階に属することかは分からないが、その、イメージとして、何かが残されていく、そのようなこと、そのものからの、或いは、イメージが浮かび上がってくるということなのか、そのことを拾い上げている、その、何かの気配、何かあるという感覚、それに従って、このように書いている、そんなことなのだと思う、或いは、もっと十分に睡眠、それをとったほうがいいのかもしれないと思う、或いは、早朝に起きる、そして、睡眠ということではなくて、自己内の作業として、このように言葉にしていくという、その作業を行なっていく、どちらがいいのか、そう、そのことに迷いがある、でも、多分、積極的なこととして、このように書いていく、タイプしていくということを行なっていく、これが、その、地下へ降りていったとしても、その、地上へもう一度出て来ることの、その訓練になっているのではないかと思う、地下との行き来をする、或いは、洞窟探検をする、そんなことになっていると思う、その、自己の内のこと、そのことを通して、それが、何処かへ繋がっているという、連絡している、そんなことにもなっていると思う、そして、その、より深くのこと、そのところの保存されているイメージ、そのことから、物語が生まれてくる、今までの物語、それが破壊されて、安易はところのこと、或いは、他者の影響を受けすぎてきていたところの物語、それが壊れ、そして、自分自身としての、その物語が始まっていく、そのようなことなのではないかと思う、地下に閉じ込められることのないように、このような訓練を、或いは、修行を行なっていくこと、そう、このように書いていることは、修行なのだと思う、『ハリウッド・エンディング』を観る、ブラインドになった映画監督、過去に分かれた子供に再会する、コミュニケーションを持つ、そのことから見え始めてくる、そのようなところが印象的なことだったと、また、エンディングのことも、初めから予想されていたことなのだと、ウッディ・アレンの映画は、ドタバタではありながら、そんな心理描写も含まれている、そんなところが面白い、人に会う、映画を観る、地下何階で出逢っていけばいいのか、そのことが問題になってくる。