『樹の海』を観る。

saikaku2005-11-26

観終わった後、何か、得した気分になっていた、前、それほど期待していたわけではなくて、その、期待度が低かった分、得した気分ということが高められたのかとも思う、邦画にしては、科白が多く、その人と人とが話し合う、その会話の場面が多かったのがよかった、邦画は、ヤクザの映画に代表されるように、基本的に罵声の連続というか、人と人がじっくりと話し合う、そんなことが多くて、辟易していた、また、敢えて観ることもしていなかった、この映画は違っていた、その、死者に対して話し掛けているという場面もあったけど、その、言葉にするということ、そのようなこと、それが多かった、その、「樹の海」ということ、そこは、自殺の多いところ、死に行くところ、そのような場所では、何かしら、その、饒舌なことになっていくのかもしれないと、今、不図、思う、今までのこと、どうしてこの場所に至ったのかということ、そのことについて回想する、そのことだけでも、そう、饒舌になる条件は揃っている、そう、揃っている、そして、饒舌になれば、また、地上の世界へ、現実社会へ戻りたくなってくる、そんな気力も生まれてくる、その、饒舌になれない、そのような状態のままであれば、それこそ、本当に、その目的を達成してしまうということなんだと思う、実行してしまうということなんだと思う、その、幾人かの人が関係していた、そして、それぞれが、また、何かしら結ばれている、そんなところも面白い、直接的な出会いということはなくても、そのようなことがなくても、一個の林檎ということを介して繋がっているとか、そんなところも面白いところだと思う、その、人それぞれのこと、それぞれの生き方をしている、或いは、拘っているところもある、そのようなこと、拘り続けて、そして、自縄自縛ということになっていて、身動きできない状態になっていて、そして、樹海へ這入っていく、そして、何らかの死の体験をする、実際に冥界へ往ってしまうこともあるが、その、死の体験をする、そのようなことによって、今までの、その、自分を縛っていたこと、それから離れていける、そして、再生するという、基本的にそのようなことになっている、この映画、いいと思う、その、これからのこと、もう少し、現実的なことに、そのことに触れていくことも、それも大事なことなのではないかという、そんな気がしている、同じようなことを書いているということもあるが、もう少し変えていきたいと思う、更に、その、世界のありようということ、その全体性ということ、連続体として、そのようなこととして把握できていくように、また、村上春樹、その全集を読み始めていくこと、何か、その、隠れている大問題、そのことが、まだまだ巣食っている、そんな気がしている。