人間関係の在り方。

saikaku2005-12-15

より多くのことを書いていく、そのような状態にいる、昨日も書き続けていた、まだまだ、その、書くべきところのことが、今までのこととして、纏めていく形において、まだまだ、多くのことがあると感じている、その、人間としてのあり方、証人喚問を見ていても、浅くなっていると思う、人間性としてのこと、貧しくなっていると感じる、そのようなこと、一般的なこととして、何というのだろうか、浅ましくなっている、というのか、ただ、自分だけのこと、自我だけのこと、我執ということ、そのようなことに囚われている、その、自意識が強いということは、言い方が反しているかもしれないが、依存性が強いということでもある、多分、自意識が強いということであっても、人間として、独りでいることには、基本的に耐えられない、孤独であるということ、或いは、自由であるということに、そのことを望んでいるとしても、束縛状態にあれば、それを望んでいるとしても、基本的に、独りで生きていくことを、実生活においても、また、精神的な意味においても、独りであるということを恐れている、そのようなところがある、その為、却って、自意識が強いということは、何かしら、依存性を強めていく、そんなことになっていく、そして、そのことが、また、苦しみということを生じていく、その原因となっている、そんなことなのだと思う、そのようなことが、今、世界中のことなのか、或いは、日本でのことなのか、そのような傾向が、それがある、単独でのこと、或いは、独自性ということを、如何に生み出していくのか、別に、その、孤独に耐えるということ、そのようなことでなくても、その、人間関係の在り方ということを、そのことの中身のこととして、依存性ということ、そのことを削除していく、というか、それぞれの独自性、そのことを基本にして、その、人間関係の、それぞれの生き方ということを認めていくという、そのようなこと、それでいいのだと思う、相手のことを、他者のことを批判していくこと、楽をしているとか、何も仕事をしていないとか、そのようなこと、暗に言う、でも、そのようなことも、結局は、その、自分自身の問題であって、その言葉、いっている本人に当てはまることであって、そのことを、多分、無自覚にしても、分かっている、そのようなことなのだと思う、相手のこと、その生き方のこと、学んでいくということはあっても、批判するということには当たらない、少しの前の講演会、そこで聞いたこと、その、また、私も思っていたこと、愛の反対語は何かと、憎しみではなくて、憎しみは、多分、愛の裏返しであって、形を変えたもの、それは、無視すること、或いは、無意味であるということ、そのようなこと、そう思う、人間関係においてのこと、相手のことから学んでいくこと、相手の生き方から学んでいくこと、それだけがある。