自分にとって面白いものを。

saikaku2005-12-19

先週のこと、その、とりとめもなく書き続けていたこと、泥沼に嵌ったように、書き続けていたこと、本を読むということができなかった、受け容れていくということができなかった、ようやく、そのような状態、一方に傾いていた状態から抜け出ている、そのようなことになっている、出口に立っている、そう、そのようなことになってしまったわけ、なんだろうかと思っていた、何から始まっていたのかと、そのこと、昨日、その始まりのことに気がついた、それは、多分、先週の土曜日、日曜日とかけて、前に録画してあったビデオを立て続け手に7本観たという、そのことから始まっている、『好人好日』『いぬ』『恋愛専科』『愛と青春の旅立ち』『ミスタ・ロバーツ』『生きる歓び』『危険がいっぱい』と、BSで録画していたものを観ていた、問題は、そう、面白くなかったこと、そのこと、全部ということではなくて、面白くなかったということ、だから、その、義務感で観ていたというか、そんなこと、そして、最簿の字幕まで、確りと観ていた、そんなことをしていた、面白くもないものを、何か、最後まで観なくてはという、そのような無理を重ねていたのだと思う、そのようなこと、本については、もう、そのようなことはなくなっている、そう、面白くないものは、もう、そう、初めの20ページほど、それだけ読んで、もう、何か、面白くないと、読み続けていくことができないと、そのように感じられるところの本、それは、捨てていってしまう、そう、それはそれでいいと思う、でも、映画に関しては、そのようなことができずに、最後まで観なくてはという、そんな気持ちが残っている、映画館では、そう、逃げ出すというわけにもいかないが、でも、ビデオでは、初めの20分間ぐらい、そう、観て、面白くなければ、もう、観ないということ、そのようなこと、何か、最後まで読まなければならないとか、最後のエンディングロールまで観なければならないとか、そうしないと、罪悪感に囚われてしまう、そんなところがある、罪悪感というのは大袈裟な言い方、でも、それに近いところのことがある、何か、いいところがあるのではないかという、そんなところのこと、でも、その、面白くあるのかどうか、それは、始まりのところで決まってしまうものだと思う、別の図書館へ行く、久しぶりに行く、そして、その、本を借りようとする、そのようなことにおいても、以前であれば、面白くない本、でも、何か、書評に載せられていたとか、そんなことで読んでみようとしていた、それも、無理をしていたということ、自分の選択眼、それを信じていくこと、そう、そんなことなのだと思う、自分にとって面白い、意味がある、そのようなものこそを受け容れていく、何でも、ということではなくて、自分にとって意味のあるところのこと、それを選択して、受け容れていく、まあ、そのようなことになっていくと思う。