『ニュートンの海』を読む。

saikaku2006-01-07

もう、小説を読むということもなくなってしまっている、本当に、自分の読みたい本、それだけを読んでいる、書評とか、そんなことにも惑わされないで、読みたいという本、図書館で借りるということにおいても、前は、何か、評判になっているとか、この本も読んでおかなくてはいけないとか、そんなことが切っ掛けで借りていたところもあったが、もう、そのようなことも止めていく、ただ、自分が読みたいと思う、そのような本だけを読んでいく、でも、この選択ということが、そう、いかに難しいことかわかる、読んでおかなくてはいけないとか、観ておかなくてはいけない映画とか、何か、そのような気持ちの動き、それが常に起こってくる、読んでおかなくてはいけないという、そんな気持ちになってくる、そう、そのことを抑えていくこと、というか、そのようなことよりも、真に、自分がその方向性を持っていく、という、でも、まあ、惑うこともありうる、これからも起こって来るのだろうと、そのようなことからいえば、簡単な本、それだけ、手軽に読める、という本を選択していくのかと、そんな危惧も持つ、でも、『ニュートンの海』、手軽の読める本でもないし、この本のこと、のめり込むように、そのように読んでいた、また、昔の計算も思い出しながら、その、万有引力が働いているときの惑星の運動を求める計算、それも、まだ、覚えていた、微分方程式を問いていくこと、それもできた、そんなことも横で行いながら、その本を読み通していた、そして、面白かった、その、ニュートンのこと、その実像について、何も知っていなかったということ、その、ニュートンにとっては、物理の法則を発見していくこと、そのことは、哲学だったのだという、自然ということを理解していく、人間の営みとしてのこと、思考していくこと、そのことにおいて、哲学を行っていたのだと、何か、物理ということと、或いは科学するということ、そのことと、哲学ということが、今は、もう、離れてしまっているが、でも、そのようなことも、今一度、振り返ってみてもいいのではないかという、そんな気がしている、自然ということを相手にして、そのことを対象として、思考していくこと、そのようなこともあってもいいと思う、その本に触発されて、もう一度、夜の時間、物理の勉強、以前にも、ファインマン物理を勉強するという、そんなことを決意したことがあったが、もう一度、そう、始めてみようかと、そして、例えば、光というもの、その本質は何なのか、そんなこと、自然に関することの、その、本質的なところのこと、そのことに触れていくということも、できるのではないかという、そんな気がしている、そう、もう一度始めていく、問題ということ、疑問ということを持っていくという、そのような形で始めていく、何か、そのようなことも、自分の好む方向として生まれてきている。