洪水の夢。

saikaku2006-01-08

洪水に逢う夢を見る、一昨年の洪水のときのことかと、それに関連しているのではないかと思う、或いは、その、『海』、それに関連しているのかと、何かが溢れ出し来そうな、そんな予感があるのかと思う、自然の真理を掴む、それはどのようなことなのだろうかと、真理ということ、それはどのようなものなのだろうかと、重力というものがあるという、でも、本当にそれが在るのかどうか、在るということがどのようなことなのか、そのことも分からない、或いは、時空間の歪み、そのように図解していくこと、そのようなこともあるのかと、どのように理解していくのか、という、或いは、言い方を換えれば、その、何を根本原理、どのなことを基礎においていけば、その、如何に多くのことが説明されるのか、或いは、多くのことを表現していくことができるのか、ということなのかと、言葉を用いて表現していくということだけではなくて、数学を用いて表現していくということもある、その、自然の真理ということではなくて、その、新数学、それが創造されていくことに意味があるのではないかという、そんな気もする、或いは、色彩で表現するということもある、或いは、音による、そんなこともある、如何に、その、表現していくのか、多様な表現が可能であるのか、そのことのうちにこそ、真理が潜んでいるという気もする、そのようなこと、ここでも、その、真理という言葉についての二重性がある、その、核となっているところのこと、その真理と、それから生み出されてくるところのこと、或いは、人間の営みとしての表現活動、いろいろな表現活動、その全体として、そのことのうちに含まれている真理という、その二重性がある、その二つのことを不可分なこととして捉えていくということもできるのではないかという、そう、そんなこともある、自己の内からのこと、その、いろんなことを考えていくこと、おそらく、洪水というのは、その夢の意味は、何か、期待もこめて、その、溢れてくるところのイメージ、そのことに原因しているのではないかと思う、もっともっと、このようなこととして、イメージを表現していくこと、そのことが必要なことになっていくのだと思う、その洪水の夢の次は、暴走していく車の夢だった、あわや衝突するということを回避して暴走していく車、それは何なのだろうかと、警告かもしれないと思う、表現しすぎることへの警告、そんなことなのかもしれないと、何か、混乱しているということから、今年は始まっている、でも、何か、その、独自なところのこと、それも生まれてくるのではないかと思う、仕事場においてもネット、人間関係のネットを創っていくということ、そんなこともあって、広げつつも纏めていくという、そんな、まあ、矛盾するようなことも行っていくということになる。