映画『ふたりの5つの分かれ路』。

saikaku2006-01-10

その映画を観る、貸切に近い状態で観る、その、フランス映画、先ず、昨日の『しあわせ』にしても、哲学的な匂いがする、そのようなことを感じる、人生ということについて、その不条理さ、また、予定調和的なところ、人生にはそのようなところがあるのだという、何か、一本の筋を見つけていこうとするような、ただ、混沌としているということだけではなくて、何か、その中には、一筋の糸が通じているのだということを、その、哲学的な関連ということを見つけ出していこうとしている、そんなところがある、そして、何よりも、邦画にないところのこと、言葉数が多いということ、よく喋るということ、そのことがいい、或いは、羨ましいと思う、対話をする、その、自分の考えているところのこと、教育ということにおいて、そのような訓練が為されているということもあるのだろうが、その、基本的に、自分の思っているところのことを表現していくということに、そのことの巧さを感じる、そのようなことがある、その映画、それぞれの場面、そこにおいて、以上というのは言い過ぎなのか、何か、違っているということ、そんなこと、異様なこと、そのことを抱えている、その、基本的に、その、異様なことを受け容れていくという、そのことを性格といってしまっていいのかどうか、そのこともあるが、でも、人間性、或いは、その人間関係の中に、その、波乱含みの要素、それが紛れ込んでくる、そんなことになっている、でも、そのことを、その、表現し切れていない、そんなところもあるのかと、その異様なところのこと、そのこと、確実には、相手のことを受け容れていない、そのしこり、それが残されていく、或いは、未解決の問題として、そのことが膨らんできている、そんなところになっていくのかと思う、そのようなことなのかと、その、時間を遡って行くという手法、それも面白いことだと思う、何があったのか、そのこと、原因を探していくということよりも、同じことを繰り返している、生活習慣として、同じことを繰り返していくという、そのようなところのこと、同位相なのだという、そんな感覚を持つ、その映画を観る前に、一つの講演会に参加していた、そこでのこと、質疑応答の時間、でも、質問をするということよりも、自分の思いを延々と続くかと感じるように述べていく、恐らく自分でも、何を喋っているのか、そのことが、脈絡がわかっていないという、そんなように述べていく、ただ、その、自分が喋っている、或いは、喋っている自分自身の存在に意味があるかのような、そんな話し方、そして、質問になっていないという、そんなことがあった、まあ、そのようなことも、結局は、同じことを繰り返していく、そして、変わらない日々を送っていく、何か、問題を解いていくことができないという、そんなことになっている、それを感じさせた。