『スタンド・アップ』という映画.

saikaku2006-01-19

その映画、何故か観に行きたいという、どうしても観に行きたい、そんな気持ちになっている、そう、そしてその段取り、いつ行こうかと、どのように行こうかと、そのことを考え始めている、自発的にそのようなことになっている、そして自然に、金曜日、行こうと決めている、そう、そんなことになっている、明日の夜、レイトショーに行こうではないかと、そのように、その算段を決めている、そのこと、どうしてなんだろうかと、それが不思議に思う、その映画のこと、予告編を観た、それだけのこと、そのとき、他の予告編も見ている、『プライドと偏見』とか、誰の原作だったのか、まあ、それも観ている、他の映画も観ている、でも、観に行くという行為に繋がるように、その段取りを自発的に決めていっている、そのような方向へ促されている、それは何なのだろうか、そのことを不思議に思う、人が行動を起こしていく、そのこと、何があるのかと、そのことを思う、関連していることは、主人公、シャーリーズ・セロンだったか、その主人公の映画『モンスター』を観ているということがある、その映画の印象が強烈だったこと、それが元にある、そう、そのことはある、そのことは確かなこと、その映画から主人公の生き様に惹かれているということがある、どうしようもなく食い違っていくこと、自分の生き方、それがどうしようもなく、違う方向へ進んでいってしまう、そして、そのことをどのように受け留めていくのか、そのことに対して、どうなっていくのか、仕方がないといってしまっても、その罪ということは消えることはないが、その、自分の存在ということが、だんだんと、モンスターとして、途方もない存在に膨れていってしまうこと、そんなことがある、こんなはずではなかったのにという、そのように祭り上げられていってしまう、そんなことが起こる、その映画の印象、それが基に在る、そう、確かなことだと思う、また、その題名からの印象、原題は違っている、北の国、でも、その立ち上がるということ、その題からの、その言葉からの影響も受けているのではないかと思う、確かに、そのこともあると感じる、何か、今、そのようなこと、立ちあがっていくことに、自分自身のことを重ね合わせている、今、その、立ち上がっていくときというか、生き方を変えていこうではないかという、そんな大袈裟なことではないとしても、でも、大袈裟なことかもしれない、それになっていくのかもしれない、そんな変化が起こっているのではないかという、そんな気もしている、自分自身の生き方ということ、そして、仕事場でのこと、別に乖離しているということではなくて、その、関連付けているということがある、でも、これからのこととして、その在り方ということを、替えていく、違うことを考えていく、そんなことになっていくのではないかという、そんなことなのだろうかと、そう感じる。