ライブドアとオウム

saikaku2006-01-21

若者というのか、中年でもなくて、30歳代の者が記者会見に臨んでいる、その様子、それは、何か、昔のオウム真理教、そのことを彷彿とさせる、何か、その感じが似ている、そんな印象を持つ、その信者は、日本全国に広がる信者は、ネットで株を遣り取りしている者たち、そんなことなのではないかと、お金を儲けるということ、そう、実利的なことであって、世の大人たちも同じことをしているということからいえば、まあ、違和感を持つことがおかしいのかもしれないが、何か、その、ゲーム感覚で株に手を出していくこと、企業のことについて、何も知るところなく、そのときの情報に振り回されていく、そんなことになっている、何か、その、信じるところのことが、怪しげな、神という存在ではなくて、金というものであるとは言いながら、でも、今の世の中の、『金』というものも、実態ということではなくて、電子情報として存在しているような、その、曖昧なものとなっているような、そんなことだと思う、20億円儲けた人間も、多分、実態のあるもの、それを得たというよりは、浮遊空間の中での出来事、そのことに酔っているような、そんな気がしている、それは、まさしく不幸なことなんだと思う、はっきりと、そう思う、何か、その、真実なところのこと、それを掴めているのかどうか、そんなことにあるのだろうと思う、何が真実なことなのか、どのようなことに実感ということをもつことができるのか、映画『スタンドアップ』を観る、過去のトラウマというのか、そのことを解消していくこと、そのようなことになっていく、他の人物にしても、それぞれが、何かを抱えている、そのことに対して、その、真実なところのこと、実際に何があったのか、そして、自分がどのように感じていたのか、またどのように対処したのか、そのことが問われていく、結局は、真実なこと、それを見ていかなければ、そのことが大事なこととしてあると、嘘をいうこと、そのようなことは、その生き方ということを停滞させてしまう、そのことは、そこで生きるということが止まってしまう、そんなことになっていく、或いは、その後、浮遊していく、そんなことなんだと思う、金の世界、それだけが確かなこと、その、自分からのこととして、何か、新しいことを創り出していくこと、そのことがなくなってしまっている、自分の持っている、その、コンプレックス、そのことを解消していくこと、解消するまでは、マイナス、そのようなこと、そして、その、真に創造していくという、プラスの生き方、それが、その後、始まっていく、その、依存傾向を続けていく、金に依存していく、亡者になっていく、それは、何も、生まない、でも、今、そのようなことが多いのかと、時間を掛けるということが、そのことが少なくなっているのかと、そのように感じる。