もう一度、正四面体。

saikaku2006-01-23

まだ、いろんなことを迷っているという、そんな段階にあるが、でも、少しずつ、纏まっているところのこと、どの時間に何を行なっていくのか、そのことについてのこと、収まりがいいように、気持ちに沿っていくように、そのように考えている、そのようなこと、結局は、その、3領域、人間、世界、自然という、その3領域ということについて、学んでいくということ、自己に学んでいくという、そんなことになっていくのではないかと、その分類、昔々に考えていたこと、そして、それぞれのノート、それを作っていたりもした、そう、そのことに戻っていく、昔のことに戻っていく、まあ、そんなことになっていく、それでいいと思う、そして、それぞれのことについて、自分自身、どのようなことを感じているのか、考えているのか、問題は、そのところ、正四面体、担っているのかどうかという不安はあるが、底辺の3頂角、そ個にはその3領域ということが対応していて、そして、もう一つ、上の頂角には、自己という存在、それを当てていく、そんなこと、自己について識っていくこと、そのようなイメージを描いている、そのようなこととして、これから進めていく、午前中のこと、世界についてのこと、午後、人間、そして、夜、自然ということ、その分野別に、学んでいくという、そのような生活のあり方、まあ、それが、いちばん、収まりのいい、そんなことになっていると思う、・・・その、詰まらない映画を観た、そんなこともあろうかと、香港4大スター競演とか、4大スターと言われても、誰も知ってはいないが、そのような、スター競演というのは、宣伝効果はあるとしても、何か、映画の内容としては、概して面白くない、何々の誰々、という宣伝、概して、内容は詰まらない、それぞれが個性的でありすぎるのか、全体としての纏まり、それに欠けてしまうのか、その、配役、それに注目が行ってしまって、ストーリ、それが淡白なものになってしまう、内容に深み、新鮮さ、それを感じさせない、単に、その、義兄弟の友情を描いたという、単純な内容に、そんなことになってしまう、また、何だと、4大スターではなくて、2×2ということではないかと、そんなこと、『ベルベット・レイン』という映画、『ブラック・レイン』とかのもじりとか、そんなことを思う、でも、その映画を観ていて、関係ないこととして考えていたのは、携帯、2人で会話をするということ、だけではなくて、3人とか、もっと複数で会話をするという、そんな携帯を作ること、それは無理なのだろうかと、そう、複数に掛ける、待ってもらうのではなくて、複数で遣り取りする、技術的に無理なのか、或いは、もうできていたりするのかと、そんな埒もないことを考えさせる余裕を与えてくれていた、そんな映画を観た。