『意味がなければスイングはない』

saikaku2006-01-25

その、今、このように書いているということも、結局は、元へ戻って来ている、そのようなことになっている、メモを基にして書いているということ、元へ戻っている、でも、違っているところもあるのだろうと、その、書くということにおいて、自己の中枢から出て来る言葉のこと、そのことをタイプしているという、或いは、指先で考えていくという、そんなことになっている、ただ、このようにタイプしていくということだけが、その行為だけが、それだけがあるという、そんな感じに近いものがある、その、自己の中枢から出てくるもの、そのものを表現していくこと、その為に生きるということがあるのではないかと、そのように思える、でも、それに反していること、そんなことも多くしている、自分の身体に起こること、そのようなことを受け容れていくことができるのかどうか、入院した親戚を見舞いに行く、その、右半身が麻痺していること、その、動かないということを受け容れていくことができるのかどうか、そのこと、できるんだろうかと、人事ながら、そのことを不安に思う、そうしていかなければならないという、そんなところのことがあるにも拘らず、その、生活習慣病ということも、別に、その悪習を習慣にしたくなかったのに、そうせざるを得なかったという、その齟齬、その、心身間の食い違い、それが病気として発する、そんなことなのではないかと、自分の身に起こったこと、そのことを受け容れていくことができるのかどうか、そのことがある、或いは、ただ、その、他者を利用していくという、そのように見える、そんな人もいる、そう、自分の存在ということを際立たせていくという、その為に他者を利用していくという、そんな人もいる、でも、それも、結局は、自分からのこと、自己を表現するということにおいて、自信を持っていない、そんなことなのだろうと思う、自信が欠如している、だから、説明責任とか、そんなことも果たせない、また、自分の行なっていることが、どのような意味を持っているのか、そのことも、自分では理解できていないという、まあ、そのようなことなのだろうと、そのこと、自己について識っていくこと、その、このように書いていく、或いは、他のところにおいて、その、多くのことを書いていく、或いは、埒もないことをタイプしていくこと、でも、このこと、何か、自分にとっては必要なことなんだという、そんなことを思う、自己について識っていくことと、その、他者について知っていくこと、それは、パラレルなことなんだという、そのことを思う、その深さの程度においても、パラレルなんだと、そんなことを思う、今、その、多くのことを、病気であるという人も、自信を持てないという人も、そのようなことも、自分のこととして、そのようなこととして、考えていく、そんな余裕ができてきている。