『ミリオンダラーベイビー』

saikaku2006-01-29

もう図書館で本を借りるということも、暫く停止する、そして、今、ある、その、積読しているというか、そのような本、或いは、前に一度読んだ本、その、読みたいという気持ち、そのことを大事にしていくということはあるとして、今までの本、それをもう一度読み返していく、新刊本、小説の類、何か、同じようなこと、そのように見えてきてしまっている、新鮮味がない、或いは、現実味がないというか、真実味が足りない、そんな感じを受ける、それは、別に、書物だけの限ったことではないが、J-POPにしても、同じようなこと、そんなふうに聞こえてしまう、もういいと、そう、何か、その、違っているところのこと、そのことを探していく、違った分野のところへ、そのような方面、その、新しいところのこと、まあ、これも付加価値、そんなことなのだろうと思う、そして、それが、人間としての真実さ、それにも関連しているという、そのこともわかってきている、何か、その、新しい自己を発見できるところのこと、同じことの繰り返しということではなくて、新しいところのこと、でも、まあ、同じことを何回も繰り返していくこと、そのこと、量的な豊富さ、そのところから、質的な転換、そんなことも起こってくるのだろうと、その、古典的な考え方は、まあ、正しいと思う、そのようなこと、ビデオにしても、今までに録画してあったもの、そのものを観ていく、その、新しいもの、それも観ていくとしても、今までのモノ、それに触れていく、問題は、その、新しいことに触れていくということではなくて、新しい自己を発見していくということにある、そのことにある、新しい自己を創造していくという、そんなことになっていくと思う、初め、『ロッキー』のようなつもりで観ていた、そう、新しい自分を創っていく、改造していくというか、そのようなこと、そして、タイトル戦、それまでに伸し上がっていく、まあ、そうなっていけば、その、ただ、同じようなこと、でも、後半からは、陰と陽、陽と陰か、そのように転換していく、更に、その裏には、娘の存在があって、そのことがどのようなことなのか、ただ、手紙が返送されてくるということだけのことであって、その気持ちが、また、投影されていく、多分に重なるところがあるのだろうと、そして、尊厳死が与えられるということなのかと、どのように生きていけるのかという、そのようなこと、それぞれの人間には、おそらく、ミリオンダラーの価値を、それ以上の価値を生み出していくところがある、そのようなことができる、そんな素質、或いは、人間性を持っている、でも、ミリオンダラーの金をかけて、医療に介護に費やして、その生命を維持していくという、そんな場面も起こり得る、まあ、そのようなことでバランスが保たれている、そんなことになっているのだろうかと。