『空中庭園』

saikaku2006-01-30

本を集中的に読み始めてから30年ほどになると思う、それまでは、小中高と、ほとんど読んでいなかった、読み始めたのが大学に入ってから、それ以来のこと、今までに読んだ本、それは、二度を読むことなく、誤って二度買ってきてしまった本もあるが、ほとんど、その、読み返すということもしてこなかった、ここで、そのことを改めていこうかと思う、今までに買った本、そのままになっている本も多い、そう、そのような本をもう一度読み直してみようかと、ぜんぜん新刊本を読むということをしないということでもなくて、その、9割方、今、持っている本、それを読み返していこうかと思う、後、これからの生活の中で、そのようなことを中心的なことにしていけば、そう、時間的にも合うのではないかという、そんなことを考える、ただ、その、新しいことに触れていくということが、そのことが大事なことなのではなくて、自己を表現していくこと、如何に、その、多くのこと、或いは、自己を通して深くのこと、そのことを表現していけるのかという、そのことが大事なことなんだと思う、だから、新刊本には拘っていかない、そう、拘っていかない、そのようなことでいいと思う、その映画、奇を衒っている、そんなふうに感じる、また、原作を読んだこともないが、それが弱いのではないかと思う、何か、その、新刊の小説、それから離れているのも、その、何か、違う、最近の、その、いろいろな小説家の描くところのこと、何か違っていると思う、その、表現するということにおいて、新奇なこと、そんなことを狙っているというのか、何か違う、もっと、その、日常というところのこと、その生活の中でのこと、そのことからの発想、そして、何か、新しいもの、それを与えられること、そんなことを期待しているが、その、結局は、平凡な結末、その表現の新奇さに反して、結末は、平凡なことに堕してしまっている、そんなこと、その題名のとおり、家族の設定ということ自体が、それが宙に浮いてしまっている、まあ、そんなものかと、どこかの話、ああ、そのようなことも在るのかと、ただ、それだけのことで終わってしまう、その、共通性、何か、通じてくるところのこと、自分自身を振り返っている、そのようなことが与えられてしまっていない、そう、あまりよくなかった、また、画面を動かすこと、そのことも、車酔いに似たことが起こってくるのが気分悪い、まあ、このような映画もある、今までの本を多く読んでいく、また、映画も多く観ていく、面白いのも面白くないのもあるのだろうと思う、多くのものに触れていく、そして、その、感じるところのこと、それを、このように表現していくということをしていく、このようなことでいいだろうと思う、自己を表現すること、そのことに努めていく。