『畑村式「わかる」技術』

saikaku2006-02-01

分かるということ、納得するということ、そのことを、その、自分の内にある試験用紙、型紙、それがあると、何か、固定観念、自分の思い込み、多分、こうだろうという、期待値、想像しているところのこと、思い描いているところのこと、パタン認識、概念、おおよそのこと、犬というものであれば、その、どのよう形状、性質、共通項、そのようなことについての認識、それを持っているとする、そして、それに合致するのかどうか、そのことによって、分かったという、そんな判断が下せると、でも、そのパタンがそもそも持っていない、そんなときには理解不能ということになってしまう、或いは、合致しないとき、そのとき、納得できない、或いは、拒否してしまう、或いは、相手の存在、それを否定してしまう、非難する、そのようなことへ向かう、その、何か、自分の内にパタン、それを持っているという、そのような前提に立っている、だから、そのようなことからいえば、その、自分のパタン、それに拘っていくのか、それをもっと柔軟に考えていくことが出来るのか、その姿勢に違い、相手の話を聞いていく、その、いっている意味が理解できない、自分の内にテンプレート、それに合致しない、そのとき、相手の内容を否定していくのか、或いは、相手の内容を受け容れていく、そして、自分の内のパタン、それに変更を加えていく、そのような柔軟性を持っているのかどうか、そんなことになっていくと思う、当然、後者の方が、豊かさ、それを得るということが出来る、心の広い人間、ということにもなっていく、そして、その、自分の内の概念、それの改変を加えていくことによって、更に、上位概念へと展開していく、そのようなところのおいて、新しい考え方、そのようなことが創造されてくるという、まあ、そんなことなんだろうが、何か、その説明、分かりやすいが、実際問題として、そのようなことになっていくのかどうか、そう、乗り物に乗っている、外の風景に目を向けなければ、動いていることが分からない、地球が自転していることの実感、それは持っていない、大地は静止していると、そう思う、でも、動いている、自分が変化していること、動いていることを実感すること、自分の、その、考えていくパラダイム、それが変化していること、そのことを実感するために、もう一つ、日記に残していくこと、そのことが必要なんだろうと思う、その、今日という日がどのような一日だったのか、十年先においても、あああの日かと、鮮明に思い出すことが出来る、そのように特徴づけていくという、そのような日記の存在、そのことが必要なんだと思う、簡単なことでいいと思う、でも、今、そのような意味で、これを書いているのではなくて、だから、もう一つ、手帳でかまわない、そのようなことを書きとめていくことの必要性を感じる。