『癒やされた地』

saikaku2006-02-12

自分自身のこと、多くのことを受け容れていく、そして自己からのこととして、もっともっと表現していくこと、そのことに集中していく、本を読んでいくこと、映画を観ていくこと、人の話を聴いていくこと、音楽を聴いていくこと、諸々のこと、もっと多くのことを受け容れていくこと、このように何回も自分に言い聞かせている、このようなことをしている、そして自己を表現していくこと、そのことの繰り返し、このことが生活の基本的なこと、このようなことによって、段々を自己を掘り下げていくこと、自己について識っていくこと、そのようなことになっていくと思う、その、地雷を掘るということ、そのことがベトナムにとって現実のことではありながら、差し迫った現実の問題ではありながら、しかし心理的な意味、或いは象徴としての意味を持っているという、そのようなことを感じさせてくれる、そんな映画だった、いい映画だと思う、地雷を掘り出していくこと、いつしかそのことを自分の生業にしている、そのようなことになっていく、そのための技術、それを習得していく、コメディタッチのところがあるとしても、その、一本のスコップ、それを拾う、そのところから生き方というものが変化していく、そのスコップを磨いていく、心をこめて磨いていく、何か、もうそのときにはとり憑かれているという、そのような状態になっていく、地雷を掘り出していく、上から掘っていくことには危険が伴うが、下から、地雷の下まで掘り下げて、下から見つけていくということ、そのような方法、それが安全であるということを発見していく、上から掘っていくこと、ときには爆死をしてしまう、そのようなことが起こる、身を危険に曝してもそのような掘り方をしていく、でも、下から掘る、その、下まで掘り下げていくということ、そのような場所、それを見つけていけば、そのところから範囲を広げていける、そのようなこと、地雷の取り除かれた場所、それが癒やされた地、ということになっていくのだろうと、そして、いつしか、男の表情が精悍なものへ変化していっている、そのようなことになっている、自己の内のこと、そのようなことにおいても同じことだと、そのように感じる、現実のことではありながら、そのことには内面的な意味が含まれているということ、そのようなことがある、人間は、何かを、そう、そのとき何かを感じとっているのだと思う、そのことを生業にしていくという、自分の生き方に直結しているところの何か、それを感じとっている、また、そのような能力、潜在的なもの、それを持っていると、そんなことを思う、自己について識っていくこと、多分、ときには、そのことによって爆死してしまうことも、或いは、片足一本失ってしまうこともあるのだろうと思う、でも、そうしていかなくてはいけないという、必然的なものも、多分、ある。