『十二人の怒れる男』2

saikaku2006-02-16

些細なこと、それが何を意味しているのか、どのような可能性が秘められているのか、そのことを追求していくこと、事実としてのこと、その、現実のこととして、何が起こったのか、そのことを追求していくこと、その、過去のこと、過去の現実、それは矛盾している、過去のこと、それはもう可能性としてのことでしかない、歴史になってしまっている、そのことが何を意味しているのか、どのような意味を持っているのか、そのようなことにおいて、現在のことに繋がっている、過去のことについてその意味を追求していくところの意味がある、それが間違っているのかもしれないと、過去の事実に沿っていない、とはいっても、そのように言えるのは、証明されるということではなくて、記録とは違っているという、そのようなこと、記録ということ事態、その記録したものの主観ということに基づいて記録されている、ということから、それも、一つの可能性としてのことでしかない、一つの意味を持っていたという、実際、その、過去の出来事の一面しか切り取ってはいない、そんなことになっていると思う、過去の出来事について、現在に繋がることとして、どのような意味を持っているのか、そのことを追求していくことに意味がある、過去の出来事、そのことが、もう、厳然とした事実であるということではなくて、記録、記憶に頼っていくということにおいて、もう、唯の、一つの事実でしかなくなっている、何か、もっと適切な言葉、表現する言葉があるのだろうと思うが、そう、隔靴掻痒の感がしている、ただ、過去の出来事の意味、自分がこうと思い込んでいる、それは、そうと思い込んでいる自分が居るというだけのことであって、その多面性、どのような意味を持っているのか、それは、多様なものであるという、そのようなこと、そして、そのようなことを追求していくことによって、現在のありようということも変化してくるという、そんなところのこと、それがある、その、もっと、自己を表現して行くということへ、そのことへ繋げていくということのために、午後、哲学心理関係の本を読んでいく、そして、夜、物理関係の本、それを読んでいく、その、人間と自然という大まかなことではなくて、心理と物理、それに焦点を当てていく、そして、午前中のこと、それ以外、雑多な本、それ以外の本、それを読んでいく、そう、このように分類していくことで、少し、心の落ち着きが得られるのではないかと思う、今までの不安定さ、それがなくなっていくのではないかと思う、そう、このように分類していけば、あの、『趣味の園芸』は、勿論、午前中に分類されていくことになっていく、そう、これでいいと思う。