『ユング心理学入門』3

saikaku2006-02-22

後味の悪い研修会に参加した、今、思い返しても、その悪さが蘇ってくる、質疑応答中にもケータイに出るとか、そのことを当たり前のことのように思っているとか、或いは、自分らの成果を誇大に、しか思えないが、そのように吹聴しているとか、或いは、その反対に他学派のことを悪し様に言うとか、何か、話の内容も脈絡もなく、後の残っているのは、その、自分のことを誇示しているという、そのようなことだけであると、そんなこと、でも、ただ、興味があったのは、個人的な関心を持ったのは、その講義の内容のところで、自分の娘についてのことに、そう、脈絡もなく話が及んだときに、その話のテンポが落ちたこと、また、声が沈んだこと、何か、そのような表情の変化、そのようなところがあったこと、その場面に心惹かれた、行動療法というのは、本当に影の部分がない、影の部分をあまりにも強調することもどうかと思うが、本当にそれがない、それでいて、本人にも、その話の中で、近親のものに話が及んだときには、どうしても、ストレートな調子には進んでいかない、そのようなことがあることも、そう、気づいているかどうか、何も気づかないまま、その、日向の中だけを進んでいく、そのようなところがある、そして、今の時代の成果主義、そのようなことにマッチしているところのことがあるのだろうかと思う、これだけ成果があったとか、そのようなことを宣伝していく、そのことによって、その、存在価値、他に対しての存在が認められるという、そんなところのことがあるのだろうと思う、そう、そのようなこと自体、その、独自性、その理論の独自性ということが、根底となっているところのことが浅薄なものであるという、そのようなことが分かる、敢えて無意識の世界のこと、それを無視している、そんなことになっているのではないかという、或いは、それを直視することができないという、そのようなところに成り立っている、まあ、手っ取り早いというか、そのようなところがある、すぐにでも、なんらからの成果を上げる、そのようなことなら、有効であるのだろうが、でも、全体的なこととして、一面的なこと、表面的なことではなくて、生きるということが持続して行くということ、そのようなことから、その全体の見地からは、どうなんだろうと思う、今の時代のこと、光の世界に生きているもの、影の世界に取り込まれているもの、そのように分離していくことの中で、分離していると思われる中で、その、一面的なところのことに加担していくのではなくて、その架け橋となるところのもの、その存在が必要なことなのではないかと思う、そのようなことを考えさせてくれたということにおいては、まあ、その研修会もよかったのかと、そう思う。