『ユング心理学入門』4

saikaku2006-02-23

会議の席でダラダラと自分の思いを述べていく、喋り続けていく、自分が喋る、そのことに酔っているように、或いは、周りのものを酔わせているのではないかという、そのような感じを抱いているのかもしれないが、その実、議事からは逸脱していくし、結局は、その、関連のないことを喋り続けていく、何が言いたいことなのか、そのことも分からない、多分、言っている本人も分からなくなっている、そんなこと、そのような状況に出逢う、そして、その発言を止める、今まで、そのようなことが許されてきたような、そんな風潮があったのではないかと思う、発言者のこと、何か、慮っているという、そんなところのこと、無駄な時間を過ごしているという、そんな思いが募っていた、そう、そして、気がついたときには、そのことを阻止する発言をしていた、まあ、そのようなことを、口にしたという、そのような自分にも驚いているが、気づいたときには、その外れていることを指摘していた、そんなことがあった、そのとき、どのような時間の流れ、自分のうちにおいて、どのような時間が流れていたのだろうかと、そう、苛々していた自分は覚えている、そして、気づいたときには、手も挙げずに阻止していた、そんなことがあった、人の話をじっと聞いていく、辛抱して聞いていく、カウンセラーとはそんなものではないかという常識もあるのだろうかと、じっと耐えてきていくということ、そう、でも、私は、そのようなことはしない、聞きたくもないこと、何を話したいのか、そのことに意味を見出せない、ただ、自分のこと、その伝わってくるところのことがないとき、その話を遮ってしまうこと、まあ、そのようなことはある、そんなことはある、傾聴するということ、じっと耐えて聞くということではないと思う、その、自分の内に起こってくるところの感情、そのことに素直であるという、そのようなことの方が大事だと、だから、もし、苛々としてくるところのこと、そんなことであれば、じっと黙って聞くよりは、そのことを自分のほうから伝えていく、そう、そのことが大事だと思う、でも、昨日のこと、もう少し穏やかに言えばよかったのかもしれないが、少し感情的な発言をしてしまった、まあ、今までに積もっていたものもあったのかと、そんなことを反省する、自分のうちのこと、その、イメージとしてのこと、そのこともあるし、何か、可能性としてのこと、そのことを展開していくこと、ただ、そのことが、生きる上において大事なこと、そのようなことになってきている、その、閉じた世界のこと、自分で鏡を見て喋っていればいいような話には、そのような話を聞いていくことは、またの機会があっても、そう、逃げ出せないのなら、阻止していくことも、そう、辞さないというか、そんなことになっていくと思う。