『銀のいす』3

saikaku2006-03-05

卒業式を終える、一団としての人間関係が終わる、というか、新しい段階に入る、教育ということ、ティーチングとして「教」ということがある、そして、昨今言われている、コーチングとして「育」ということがある、その両方を併せたところのこと、そこで行われていくのが、教育ということ、そのようなことを思う、その、それぞれが持っている可能性としてのこと、誰しもが、生徒だけのことではなくて、教師自身においても、可能性ということを持っている、展開可能性ということを持っている、逸材になる、その可能性を秘めている、違いは、そこへ達することができるのかどうか、達する道を見つけているのかどうか、或いは、その方向性、というか、伝書鳩、って今いるのかどうか、その方向性感覚、地球磁場を感じているのかと、そのように、生きるということにおいて、その可能性へ達することのできる、その方向感覚を有しているのかどうか、違いはそのところにあると思う、そう、そのようなこと、それぞれ自分自身のこととして、その方向性を持っているのかどうか、そして、そのことが、顔の表情として顕れてくる、そんなことを感じる、問題を抱えている生徒のこと、その問題を解消させようとする、でも、そのことは、間違っていると、問題を抱えていること、そのこと自体が、生きるということの本質的なところのことであって、問題を抱えている、そして、躓く、そのようなことになる、そのときのこと、そのとき、自分の内部からのこととして、新しい可能性ということが開けていくのであって、問題を抱えていること自体を問題視することはない、そのようなことを思う、誰しも、そのようなところのことがある、そのことを顔に出していくこと、その、顔の表情として出せるのかどうか、或いは、いつまでも仮面を被っていくのかどうか、そのようなしんどいことを続けていくのかどうか、そして、それを何かに紛らわせていくこと、そんなことをしている、誤魔化しているという、そんなことをしている、そのようなことよりは、はっきりと躓く、そう、挫折する、そして、そのような生活の中から、自分らしいもの、それを発見していくこと、そして、それをだんだんと自分のものにしていくこと、そのようなことによって、より強い生き方になっていくのではないかと、そんなことを思う、そのようなこと、一つのことを乗り越えていくこと、4年間という時期、そのようなこととしてある、そして、卒業を迎える。