『馬と少年』

saikaku2006-03-10

ナルニア国物語、そのテーマとなっているもの、それは裏切りということ、第一章、キリストとユダのこと、ユダの裏切りということ、そして、それに対してのこと、裏切られたということに対しての、慈愛ということになるのだろうか、そのようなことを、此処まで来て強く感じる、今、一つの事態が動き始めているのではないかと、そのようなこともある、その、4つの対象としてのこと、平日においては、本を読むということ、そして、人の話を聞いていくということ、そのことになっていく、土曜日においては、庭仕事を通して自然とのこと、その対話ということができるのかどうか、そして、日曜日、映画、或いは、ビデオを見ていくということ、そのように一応決めていること、そして、昨日は、そう、何か吹っ切れたところのことがあったのか、多くの活字、本をストレートに読んでいくことができた、そんなことがあった、恐ろしいほどに、抵抗なく、本が読めていた、そう、そして、そのことについて書いていくこと、纏めていくこと、夜の時間に纏めていくこともできた、そう、もう一つ、人の話を聞いていくこと、生徒の話を聞いていくこと、そのことも自然なこととして、そう、できていた、5時以降のこと、そのようなことになっていくと思う、そして、その過去の話、そんなことも自然なこととして、或いは、今に繋がってくる、また、先のことも予感させていくように、これからのことも含んでいるように、そのように話を聞いていくこともできたという、そんなこともあった、何か、その決まり、それでいいという、何か、まあ、暫くは、ということになるのだろうが、それでいいという、そんな感じがしている、そして、そのように動き始めているという、そのようなとき、以前から研修会で耳にしていた、そして、特別支援コーディネータ、という、まあ、文科省の金減らしのための施策らしいが、そのプログラムに乗ってみようかと、そう、そんなことになっていく、何か、新しい勉強、そうなるのかどうか、今までのこと、その延長線上のことなのか、まあ、そのような意味もあるのだろうと思うが、その学習、それを一つのこととして、これからのことが始まっていく、ということは、以前には希望を持っていたが、でも、そのこともいつしか有耶無耶なことになってしまっていた、障害児教育、そのことがこれからの続いていくのかどうか、或いは、もっと溶け込んでいくことになっていくのかと、そのようなことへ進んでいくのかもしれないと、そんな予感もする、まあ、それもいいのかと、もう一度、昔の思い、それを復活させていく、そんなことになっていくのかもしれない、ということを考えれば、生き方の問題、人生が、少し方向を替える、そんなところもあるのかと、そう、自分自身のこと、裏切らないように、自分自身を裏切らないように。