『ドラッガーの遺言』

saikaku2006-03-12

もう少し効率がいいように、庭の土の天地返し、それを行っていく必要がある、今の遣り方では、いつになったら終わるのか、半年ぐらい掛かってしまいそうな気がする、もう少し効率がいいように、その遣り方を考えていく、また、ロックガーデンのこと、石組み、それを考えている、梅も咲いている、その傍らに石組みを想定する、そのところ、単に石を組むということではなくて、その内側へも土を入れて、そして、一段上がった花壇を考えていく、そのようなこと、土の中からゴロゴロと出てくる石、それを利用していくこと、それも花壇に組み入れていくこと、全体としてのこと、そのような庭の構想、それを考えていく、そのようなことをしながら、来年度のこと、どのようなことを、その目標としてのこと、そのことが決まっているとして、それをどのような形において実行していくのか、そのことも、庭造りと同時並行的に考えていく、何か、それも、自然なこととして考えている、どうしていこうかと、人の動き、どのように動いてくるのか、そんなことも想定して、そして、自分のこととして、その、どのように動いていこうかと、そのこと、他者がどのように自分のことを判定しているのか、そのこともある、それに対して、その、我を押し通していくということでもなくて、無理矢理ということでもなくて、でも、自分の目標へ向かっていくという、そんなこと、どのような道を通っていくのかという、そんなことなのだろうかと、何か、いろんなことを考えてしまう、苦痛なことではなくて、その、いろんなことを想定していくことが、そのことが楽しみとしてのこと、そんなこととしてある、何か、そのこと、自分のこととして行っていく、というか、生徒のこと、その話を聴いていくということにしても、そのことは、相手の為、ということは、その副次的なことであって、多分、自分自身の為に聞いている、そんなところがある、自分にとって意味を持っているということ、そんなことの為に聞いている、また、そのようなことでなければ、相手にとっても失礼なことなのではないかと、そんな気もする、聞きたいところのこと、そのような話、それを多く、相手から聞いていくこと、そんなことになっていると思う、自分にとってどのような意味を持っているのかという、そんなこと、何か、そのようなことにおいては、自分の内のこと、どのような流れ、或いは、動きがあるのか、そのところのこと、それを感じているということがある、そのことの必要性ということがあると思う、自己を常に磨いていくという、切磋琢磨という言葉があったのかと、そのことを思い出す、もう少し、その、今の生活時間割り、そのことが定着していくように、このようなことでいいんだと思う。