『象の消滅』

saikaku2006-03-31

入り口も出口もない路地、そのようなイメージ、人の家を裏から眺めることが出来る、そのような路地、何処へ通じているというわけでもなく、ただ、その、通り道としての役割もなしに、ただ、そのような土地として存在しているところ、たとえ、その、出口がないということにしても、でも、その、抜け道、或いは、抜け穴、井戸の底からの出口、新しいところへ通じているところのこと、そんな回路が、多分、どのようなことであるとして、そのようなことになっている、その閉塞感に囚われているということにしても、何か、それは、ただ、自分がそうと思い込んでいるという、そのようなこととして思い込んでいるということなのではないかと思う、その、時空を折り曲げる、或いは、その曲折を利用するということも、その接点を自由に往来することが出来れば、その、囚われているという空間から出て行くこと、そのことはできる、そのようなことになっている、その、自分のあり方、そのことを閉塞的なものだと、或いは、一方では、そのように思い込みたい、そのような依存心、それもある、そのことがある、でも、そのようなこと、壁を打ち毀していくこと、そんなこともある、自然と壊れていく、そんなこともある、自分で修復していくことも、そんなことも行っている、その、何か、自由なことの流れ、それに従っていくこと、そのようなことが出来ていけば、その、閉塞感に苦しむ、そんなこともなくなっていく、自由経済が市場というもの、それを信頼していくように、また、信頼していくことによって、経済活動ということも発展していくように、人の心の内、その生き方の問題として、無意識のこと、その領域からのこと、その声を聴いていくように、何かを感じていくように、そのようなこと、また、組織としてのこと、内向きの論理、その、組織の権益、それをただ温存していくようなことではなくて、周りの声、それを聞いていくこと、そのようなこと、或いは、内側に巣食っている、そのような声も、呟きも聞いていくこと、そんなことも大事なことなのではないかと思う、そう、その、大海に中に浮かんでいる小島のように、どのようなことであっても、その、周辺からのこと、広大な周縁からのこと、その動き、それを受け容れていくこと、そう、そのようなこと、そして、その、組織自体の動き、その方向性、それを、周縁からの作用、そして、個体としての方向性、そのようなこととして、全体の動き、それが定まってくる、そんなことになっているのではないかと思う、そのようなこと、閉じられているということは、そのようなことはなくて、何処からに、その、綻び、それが顕れて来ている、その、宇宙の構造ということにおいても、何か、その、綻んでいるところのこと、そのところから、新しい世界の誕生が起こって来る、そんなことなのではないかと。