『いつか、僕らの途中で』

saikaku2006-04-04

ゼロ金利政策ということは、やはり異常な事態であって、金利があるということ、そのことが経済活動を行っていく上においては、当たり前のことなんだと、その、金を借りる、そして、その借りた金額以上の金を儲ける、そのこと、必然的にそのようなことをしなければならないということ、そのことが経済活動、それを活発なものにしていく、付加価値、それを創造していかなければならないという、暗黙のプレッシャーになっていくという、そのようなこと、しかし、公務員というもの、そのようなことがなくても安泰で居られる、そのようなことがある、何も、その、借りているものがないという、ということではなくて、本当は税金というものの上にあるが、その、税金というもの、自然なこととして、何もしなくて入ってくるという、そんな意識になっている、自らが、何かを創造していくということでなくても、税金が入ってくるという意識、そんなことになっていく、しかし、本当は、その税金が入ってくるための、その経済活動、そのインフラを造っていく、そんなこともある、いろいろな基盤としてのもの、そのことを造っていく、法律条例にしてもそうなんだと思う、そのようなとき、一部の意見だけで動かされていくとき、その全体としての経済活動ということが停滞する、そんなことにもなっていく、そう、全体としての経済活動、それが発展していくためのインフラを造っていくという、本当は、そんな意識が必要なんだろうと思う、そのこと、或いは、その、精神的な活動、それを行なっていく、そのような人たちも居る、人の考えているところのこと、或いは、その表現されたもの、理論ということにしても、そのことを受け容れていく、そう、多くのもの、それを受け容れていく、そして、自己からのこととして、そのこと、受け容れたもの以上のもの、ただ、金という量的な拡大ということだけではなくて、質的な深化ということを、そのことを齎すこと、そのような仕事もある、そう、何か、表現するということにおいて、今までにないところのもの、そのような表現活動、そのことを実践していくということもある、そう、そんなこともある、人間としての活動ということ、そのことにおいて、今までのこと、それ以上の物を生み出していくという、そのようなことがある、その、経済的な活動ということで言えば、市場の声、そのことを聴いていくこと、どのようなニーズがあるのか、そのことを受け留めていくこと、そのことができるのかどうか、そのことが勝敗を分けていく、そして、表現活動ということにおいては、内側からの声、それを聴くことができるのかどうか、そのこと、より人間性に、真実なものに近い、そのような声を聴いていくことができるのかどうか、そのところが重要なところなのだと思う。